伝統農法のこと

   

伝統農法について考えていることを整理してみたい。日本の伝統農法は、東アジア温帯から亜熱帯までに広がる農法に基づいたもので、循環型といえる永続農法である。特に江戸時代に技術的な革新が進み完成した。稲作を基本として、野菜、果樹、畜産まで、複合的に行われていた。歴史的には4000年という長い期間、継続して同じ土地が農地として使われた場所がある。遠大な実験結果であろう。プランテーション農業の収奪的農業技術と対極に位置する農法である。一族や集落や、一つの地域が豊かに安定して暮らしてゆく為に、土壌を育ててゆく農業技術が育まれた。それには山や水の自然環境全体が安定的に存在することが、大きな要素になった。その背景には、自然そのものを信仰する、精神風土が育まれたことが、大きかったと思われる。幸いなことに東アジアの自然環境は100年前までの4000年安定的な豊かさをもたらしてくれた。適度な四季の変化と雨量の多さが、伝統農法の基本になって、水田稲作のを発展させた。

水田稲作で特徴的なことは、集落共同体が合理的に労力の出し合いを行い、戸別の農業と、共同体の作業が、渾然一体となって行われてきた農業ということになる。水を管理することは、個人では不可能なことである。集落の力の統一が成立しなければならない。水管理が協働的に運営され、他集落との調整が必要になる。そこには、契約的な意識が必要となる。場合によっては、大きな水土的開発行為の技術の革新も必要であっただろう。しかし、自然を改変する範囲はあくまで、自然を破壊するのではなく、人間が自然に織り込まれる範囲であった。その技術は国家的なものと成り、日本に於いては天皇家がその技術的支配者であったのではないか。実際的な、日常の水の調整は、繋がる水系の意志の調整が必要になる。苗代を行う。田植えを行う。水を限界まで有効利用するためには、自分の一族だけが良いということでは成り立たない。どのように他者とかかわり、共同の関係を作り出すかが必然となる。ある意味、個人が共同体にのみ込まれることにもなる。村落共同体の利益が、個人の存在を許す関係である。

この水田を含んだ農業は有畜複合の小規模農業が特徴である。換金作物を作ることは当然であるが、自給を行うことが前提となっている場合が大半である。農地を育てるという必要性から、人が移動をすることはなくなり、同じその場所で、一族が未来永劫暮らすということが予測される農法である。そこでは、農産物を移動させ流通させるよりも、先ず自分の食料の確保ということが前提とされる。移動できないが故に、一族の繁栄を望み、豊かない地域にを目指すことになる。農地に対し、永続性を前提としながらも、出来得る限りの生産性を求める。それが、2毛作3毛作という、耕作すればするほど土壌が育まれる農法が求められる。当然、一定の人数の家族労働が必要とされる、鶏、豚、馬、牛、山羊、というような家畜が飼育され、耕作にも利用され、食糧ともなり、その糞尿が肥料とされる。人ぷんも貴重な資源となる。周辺の山を燃料供給源とすると同時に、落ち葉は堆肥の供給源となる。堆肥の為に草刈り場が設けられ、家畜の飼料にも利用される。里山の成立である。

農業のみならず、漁業や、狩猟とも一体化するような多様な形態が、地域の特性に合わせて行われることになる。それも永続性が必然となるため、捕り尽くすというより、ともに暮らすバランスが意識されることになる。手入れの思想とも言うべき、自然と共存する農法となる。それは文化の形成や宗教的信条に影響している。土を作る。土を育てるためには、水を育むことになる。水を大切にするということには、自然環境を全体的にコントロールする。手入れの思想である。人間そのもを自然と一体化させて、邪魔をしない存在として自然に織り込んでゆく。現在失われつつある、日本人の暮らし方である。競争的近代農業の、大規模工業的農業の拡大再生産は必ずどこかに終点があり、墜落の危機をはらんでいる。伝統農法は、世界が調和して暮らす為の、不時着地点である。

 - 自給