2013年大豆の作業が終わる。

   


収穫のほぼ終わったところ。


乾燥していた様子。


脱粒しているところ。


最後に干しているところ。

大豆の会では、11月10日に刈り取って収穫をした。それから機械小屋の裏で2週間乾燥し、24日に脱粒。この時にはまだ早いが、出来ることはできるという感じであった。11月30日にとうみ掛けが終わった。まだ湿気がいくらかのこっている。とうみにかけた後の総重量は186キロである。現在は天日干しを2日行い、機械小屋の中に広げてある。さらに選別を12月22日に行う予定だ。150キロぐらい残るだろうか。選別を厳しくすれば、120キロぐらいになってしまうようでもある。(最終的には136キロになった。)反収で210キロくらいになる。国の平均収量が反収180キロくらいだから、始めての畑にしては、まずまずの量採れたと考えてもいい。しかし、今年は私の収穫時期の判断の間違いで、かなり早く収穫してしまった。そのために品質的に問題がある。みかん後の山の畑で初めて7畝作り。来年に向けて反省するところが多いことである。何と言っても収穫が早すぎた点で申し訳なかった。大豆の跡に予定している、例年の小麦の会の日程の予定があった。気分的に早めに日程を組まざる得なくなった。

小麦の播種前に堆肥を入れて十分に耕す必要があり、ついつい、大豆の会の皆さんには無理がかかって申し訳なかった。移動して始めての山の畑ということもあり、収穫時期の判断を間違ってしまった。誠に申し訳ないことである。脱粒機を借りることも2度手間にさせてしまった。今年の様子では来年は収穫を11月3週目に持ってゆきたい。もちろん来年は来年の天候があるので、今から決めつけることはできないのだが。ということは、小麦の播種が11月4週目ということになる。同時に、種まきは6月26日で半分位は直播をしてしまうのはどうだろうか。下の方の畑、半分は大豆の播種機を借りてきて、蒔いてしまう方がいいと思う。今のところ、この畑では鳩の食害は無いようだ。鷹がいつも飛んでいる御蔭だろうか。それでも、テグスは張った方がいいのだろう。大豆の苗作りは、補植用と、実験用にしたらどうだろう。確かに苗を的確に作れば、収量は増える。その意味で、苗作りはもう少し継続はしてみたい。まだ、分らないことばかりだ。

しかし、大豆栽培で、苗を作り植え付ける手間を考えると、すべてを苗で作るということは少し手間が掛かり過ぎる。畑の上の方一部を苗作りにして、そこには堆肥も多めに入れる。追肥料として堆肥も入れてみる。そして生育の違いをもう少し、観察をしてみたい。今年漠然と眺めていた範囲では、確かに実の付き方は、苗の方が平均的には良かった。これも良い苗が出来て、的確に植え付けることが出来た時の話だ。本来であれば、収穫量調査をする予定だったのだが、早く収穫しすぎて、それも出来なかった。土壌は大豆を栽培することになって、だいぶ改善されてきたと思う。小麦の会の種まきの時に、土が昨年とは変わったと皆さん感想を言われていた。やはり畑は使いこんで良くなってゆく。それでもまだ団粒化してきたという感じではなく、さらさらした状態である。みかんの跡地は手ごわい。昨年は、みかんがあったところは麦の生育で分る。

腐植が足りないという印象だ。麦の藁も堆肥化して、畑に戻す必要があるのかもしれない。藁を持ち出すということは、畑の腐食分をそれだけ持ち出しているようなものだろう。腐植を畑に戻す為には、本来であれば麦わらも堆肥にして戻すべきだ。家畜小屋に入れて敷き藁にして、堆肥にする。あるいは、現在大豆をやっているように、堆肥小屋で積み上げて、堆肥にする。そして畑に戻す。麦わらも、大豆の葉や茎も、畑に戻す手段を考えた方が循環して行く土壌作りになるのだろう。江戸時代の農業であれば、麦藁はわら細工に使う。藁屋根にも使う。山梨では、屋根材は麦わらを使っていた。葺き替えの時に出た古い麦藁は、畑に使うという人がいて、すべて持っていかれた。持ち出した分、落ち葉かきもして山から腐植を持ってくる。良い土を作るには必要なことなのだろう。伝統農法を考える上では、堆肥づくりは重要なことになる。堆肥づくりを勉強するということをふくめて、麦藁の堆肥作りを少し本気で考えた方がいいのかもしれない。

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