奥和留沢見晴らし道

   

「美しい久野の里地里山協議会」では、和留沢から箱根に上る登山道の整備している。昔は久野から明星岳への登山道があり、学校林もあったという。しっかりした登山道があったらしい。ところが、学校林も無くなり、山へ入る人もいついの間にか減って、山の道は消えてしまった。植林のスギ林がほとんどに成り、その管理道が登山とは関係なくつけられている。一般の人が登山する事は出来なくなった。この昔の登山道を復活させようと言う意見が、里地里山協議会の中から出た。私は後々の管理が、一部の忙しい農業者の負担に成るようなことは避けるべきだという意見だったが。取り組むことになった以上出来るだけのことはすることにした。道は付けられた直後は案外登山者が通るようになったのだが、最近は登山者もだいぶ減ってしまった気がする。入り口の舟原という部落に住んでいるので、何となく登山に行く人と出会う事が減った気がするのだ。通る人が減ると、せっかく作った登山道も又自然に戻ってしまう。

草刈りも行うのだが、作業日が他の活動と重なってしまった。今年は参加できなかった。年に2回ツツジを山に戻す活動も行う。登山道の周辺にツツジを植えている。畑でツツジを養成して戻している。今回が5回目でほぼ和留沢の登山道入り口から、明星、明神の尾根道までつながった。来年のツツジの咲くころはちょっとした見ものである。咲いているつつじをたどれば、明星岳への登山が出来る。そこから、箱根の方に降りるのも良いし、明神岳から、金時山へと箱根外輪山を巡ることもできる。つまりそれは、昔の修行の場でもある。大雄山最乗寺は天狗のお寺である。和留沢にあったと言われる、総生寺も同様に、修験道と関連の深いお寺と思われる。箱根神社の来歴によると、「当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
 奈良朝の初期、天平宝字元年(757)万巻上人は、箱根大神様の御神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、仏教とりわけ修験道と習合しました。」
とある。

登山の楽しさは、自然の懐に分け入る事にある。自然の中に立ち、自分というものに向かい合うことが感じられる。山を登るという肉体的な苦しさが、いつの間にか自分の存在に向かい合っている自分に気付くことがある。これが修業というものの入り口なのかと思う。どこかに観光に行くことを、俗世間の煩わしさを抜けて、と表現する事がある。まさに登山には、世間と隔絶した場所を提供してくれる所がある。山に登るという肉体的苦しさを2,3時間継続することで、心が洗われてゆく感じである。何故か、苦しさを継続することで違う領域に達することがある。ランナーズハイというものと似ている。高校生のころには長距離走をやっていた。登山にも良く出掛けた。似たような感じだった。座禅もやったわけだが、これが一番分かりにくかった。

箱根の明星岳への登山道を作る事に成るとは思いもよらなかった。先日のツツジの植林事業には、初めて参加される人が沢山おられた。そして、こんな活動に参加したかったんだと言われていた。今回家族で参加できて本当に楽しかったと言われた人もていた。来年の春には、ツツジが咲いている頃に行ってみたい。まだ一部抜けている場所がある。余りに暗くて枯れてしまった所や、下刈りと一緒に無くなってしまった所もある。ツツジを補植しながら、みんなで登山すると言うのも良いと思う。また、登山を終わってから、峯自然園でバーべキュウ―をするこれもまた楽しい。アルコール抜きという事で、ノンアルコールビールを飲むのだが、今年はこっそり、ビールを持ちこんで飲んだ。帰り歩いて帰れば大丈夫である。

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