大津市教育委員会

   

大津市教育委員会が特別な組織なのだろうか。余りに常識を欠く発言を繰り返している。社会一般から言えば、信じがたいほどのかたくなな態度だ。最新のコメントでも、いじめと自殺の関連は分からないとしている。以前はいじめはなかったとしていた。21日になっても、「学校現場ではいじめの認識がなかった」というのが、教育委員会の考えだそうだ。さすがにここまで証拠が出て来ると、イジメがなかったとは言い張れなくなったので、学校はイジメを認識していなかったという言い方である。さらに、イジメが自殺の原因とは証明できないと言い続けている。教育関係者でありながら、人間というものを分かっていない。人間はどのような行動を起こす場合でも、その原因は複合的であり、一つだけを上げることなど出来ない。例えば、私が絵を描くようになった原因は、それは多様な要因があり、今絵を描きたくなる、という結果になっている。

何が行動の原因になるかなど、特定しようにも出来ないのが人間である。ただし、イジメは必ず今回の自殺に影響はしている。確かに他の要因もあるかもしれない。しかし、イジメとは言えないと言い張るほどの根拠はない。自己防御的な体質の教育委員会。最初の対応に誤りがあったのではないか。イジメを調べもしないで、ないものと決めつけてしまった。その後はどう対応すればイジメはなかったことに出来るかだけを考えたのだろう。真実など初めからどうでもよかったのだ。それがアンケートをせざる得なくなった。アンケートにはイジメがあったとする形跡がいくつもあった。今度はアンケートを見落としたなどと、馬鹿げたいい訳をした。しかし、調べれば調べるほど、イジメがあったという事だけは見えてくる。今度は、イジメと自殺の関連があるとは言い切れないという弁解である。今ではこの苛立せる対応が、イジメを生み出す根源のように見えてきた。教育委員会という特殊社会の感性と考えた方がいい。

教育委員会という制度が、そもそもおかしいのだ。どれほど歪んでいても、市長ですらチェックも出来ない組織。委員がどれほどの変人であったとしても、防ぎようのない組織。私は今回の事件で、学校や、教員を責めても良い結果は出ないと思う。こういう社会状況の中で、イジメは広くあるに違いない。親が自分の子供に対して虐待する事例が、後を絶たない社会だ。小田原でも児童相談所に4月からの4カ月の間に66件の通報があったと聞いた。(伝聞であるが。)社会に問題があって、学校も又その生徒も影響を受けている。教師や学校の怠慢という方向にことが進むのは、学校現場を追い詰めることになる。学校でいじめがあってはならないのは当然のことだが、あまりにイジメだけに着目すれば、他のゆがみも出て来る。教育は緩やかで、総合的なものだ。イジメはどこにでも存在するという観点を持ち。どのように対応するかを考える必要がある。

教育の現場においては、子供の中に、社会の矛盾が集約される。だからこそ、教育委員会が一番この問題を真剣に考える必要がある。大津市の教育委員会の姿は、命を守る教育から最も遠いい姿である。小田原では、路上生活者の襲撃事件が半年間も続いている。教育の現場では対応に温度差があるようだ。こうしたことに対して、小田原市の教育委員会ではどのような議論がなされているのだろうか。私の知る所では、教育現場以上におざなりの対応をしているように見える。先日、ある中学校の校長に面談を申し込み、この問題の話し合いを持ちました。校長として、真剣に対応している気持ちを知ることが出来ました。襲撃はイジメ問題と同根です。学校だけで対応できる問題でもないという事もあります。想像力を育てる教育。弱者に対する共感を育てる教育。路上生活者が自分と同じ人間であるという教育。そして無意味な教育委員会の廃止。教育委員会のない市町村も実際にあるのだ。

昨日の自給作業 田んぼの水路の草刈り3時間 累計時間 16時間

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