冷凍みかん給食使用せず。
何とも情けないことだ。みかんを作リ食べている農家としてダメージがある。ただでさえ経営的に苦しいみかん農家の事をつい考えてしまう。もちろんそう言う事でないことは分かっている。悪いのは放射能を撒き散らした、東電である。学校も、みかん農家も被害者である。横浜市の行った指導は最悪の手法だ。横浜市長は市民はお客さんだと言っている。こういう瀬戸際でそう言うやわな思想が出てしまったのだろう。気になるのは、政府が安全であると決めた、100ベクレルをはるかに下回った最大でも10ベクレル以下というみかんを、食べるべきでないという考え方の流れである。この不安をつのらせる流れに、横浜市が正式に乗せられたという情けなさ。その根拠として3つの考え方をみた。どれも正しいものである。1、放射能のこともあるし、今の時期わざわざ、冷凍みかんを食べる必要はないだろう。2、どれほどわずかでも放射能があるものは、子供に食べさせるべきではない。3、給食という食べざる得ないものでは、できる限り放射能があるものは食べさせない。
間違っている訳ではない。その通りだと思う。それでも、このやり方は返す刀で農家を切り捨てている。初めから、県内の冷凍みかんなど使った人間に知恵が足りない。誰が考えても放射能がいくらかはあることは、想像できるだろう。あえて使おうと決めたのなら、それを厳守すべきだ。こうやって、揺れ動くことがただでさえおかしく成っている神経を、めちゃくちゃにしてくれる。確かに放射能の健康被害は、分からないことだらけだ。分からない以上、特に子供たちには出来る限り避けるべきだという考え方はまっとうなものだ。誰だって子供の健康を大切だと思う。しかし、同時に農家の生活もある。やっとこさっと続けている県内のみかん農家である。両者が大事なのだ。こんな形で農家を踏みにじるやり方が、許せない。子供の大切さ以外見えなくなって、法を越えて農家を切り捨てている。今インターネットの世界では、子供の命を守るの正義を振りかざして、魔女狩りが行われている。手柄のように、どこの何から幾つのセシュームが出たとしている。
こうした流れが様々な活動を制限している。例えば段ボールコンポストでも、出来た堆肥の利用法で制限が受けている。堆肥は400ベクレルという範囲があるが、小田原の段ボールコンポストでは、不検出か、20ベクレル代である。この程度であれば問題がないというのが、堆肥としての利用だと考える。ところが全部の堆肥を計れ、0,1だって駄目なものは駄目だの理屈を一人の人が主張するだけで、すべてが止まる。このことから生じる問題点は、放射能を前にして無視される。学校でお茶でうがいして、インフルエンザから身を守るとしていた活動が、お茶には放射能があるからと言って、中止される。お茶うがいで、何ベクレルの放射能が取り込まれると考えるのか。この農家に対しては無神経な対応が美談のように報道され、当然のように受け止める人たちがいる。冷凍みかんに放射能があることを知りながら、それを生徒に伝えないことがおかしいと、東京新聞が報道したのがことの起こりだったと思う。そんなことを事件として騒ぎ立てる報道の姿勢が許し難い。
子供たちの命を放射能から守る。それは確かに大切なことである。最大限努力はしたい。そしてそれを長期にわたり本当に行うためには、総合的な判断が必要である。横浜市の判断は県内の給食に使って居る他の自治体にも影響する。日本に農家が居なくなれば、子供たちの命は守れない。基準線を引く以外にない。成長期の子供と、大人とを同じにしている基準はおかしいと思う。乳幼児の基準と、成長期の基準と、成人の基準を作り、作った以上互いにそれを大切にすることだ。もし、横浜市のような対応をするなら、学校給食の基準というものを作り、それに従うべきだ。何か特定の産物が、やり玉に挙げられる状態は最悪である。その上で、食べたくない人は食べなければいい。そうした選択が気持ちよくできる、学校給食でなければならない。