沖縄で考えたこと 5
どこに行っても畑には目が行く。島の豊かさというものがある。それは青ヶ島でも感じたものと同じだ。自給の暮らしにとって、暖かい島というのは暮らし易い場所である。葉タバコ、サトウキビ、サツマイモ、稲作、花木栽培、熱帯果樹。現代の換金農業という意味では、どれも苦しそうである。やんばるのほうで養鶏をやるのでと、ずいぶん相談された方がいたがどうされただろうか。自給的に生きる。このことだけを考えれば、水の確保さえできれば後は何とでもできる。沖縄の農地は全体に手入れが良くない。放棄地が多いということもあるが、整然としていない。これは本島にはそこそこ仕事があり、農業に力が入らないということの気がする。自給的な畑も少ないということはどういうことだろう。ご先祖様から預かった農地を守らなければならないということがないのかもしれない。当然周囲の農地を大切にしないなんてという目もないのだろう。
出光の石油備蓄基地が島の大半を占めていた場所があった。世界経済がこのまま行くとは考えられない。日本人がどのように食糧自給を確保するかを、考えておく必要がある。そういう状態を考える上では、沖縄は日本のこの先を予感させるものがある。沖縄農業の方向は難しいだろう。農地はこの時期にしてはどちらかといえば荒れている。沖縄の土壌は農業を行うことには不向きである。水土が良くないということは、農業は大変だったことだろう。それもあって自給的な畑が少ないのかもしれない。台風など気候的な条件も厳しい。私が自給する場所を自由に選ぶとして、やはり、沖縄ではなく小田原である。小田原に移り住んで12年は経つが、自給農業には向いている。沖縄で自給農業を始めるとすれば、土壌の改善に10年はかかる。小田原なら5年でよくなる。放棄されていた、田んぼや畑ならすぐにでも戻せる。
沖縄の農業を云々する知識はないが、荒れている印象がある。写真は今帰仁の資料館にあった、田植えの様子である。昭和40年ごろ田んぼは無くなったそうだ。本土復帰の頃である。この田植えの様子が沖縄を表している。貴重な写真だと思う。放棄するとたちまちにジャングル化する。これを戻すのは大変なことだろう。田んぼに関しては見るだけでも楽しみにしていたのだが、めったになかった。かつて田んぼだったところが、何も植えられずそのままになっている。もったいないと思ってしまう。サトウキビというものは一度苗を植えつけると、土がよく、よく管理されれば、3,4年は収穫ができる。だから、野生化して荒地の中に雑草のように生えていたりする。沖縄芋のようなものが、野生化しているところもある、電照菊はあるにはあるが、思ったより少ない。それでもこの時期、路地できゅうり、トマト、なす、が実っている。
沖縄でヤンバルクイナを2羽見た。私が鳥好きなので出てきてくれたのだろう。旅行中最大の贈物であった。くちばしの赤さと足の太さがとても目立つ。カラスより少し小さい感じである。道路にすぐ出て来るので、自動車に引かれることだろう。今年16羽の事故と書かれていた。もう一つ不思議なのは、城址に行くと雨がやむということである。梅雨時なので雨は覚悟していたが、何故か行先々、5つの城址とも陽が射してくる。山の上の風の強い所だから、もし雨が降ればずぶ濡れになる。おかげでゆっくりいることが出来た。首里城には沖縄大学があった。叔父はここで教えていたことがあったから、首里城で教えていたことになる。世界遺産になったのは、古い石垣が沖縄大学を取り除いた所にあったからだそうだ。その石垣は風化していた。首里城の修復の石垣は、どうもきれいに作り過ぎている。そこにある石を並べ直すぐらいでいい。首里城も鉄筋造りである。テーマパークの作りと変わらない。小田原城の木造再建ということもあるが。失われたものは、そのままの方がいいのではないか。