小田原市長選挙
加藤憲一氏が市長になってから、随分歯がゆい思いをしてきた。期待が大きかった分、失望も多々あった。1期目が終わろうとしている。つまり選挙が近づいてきた。評価をしてみたい。まず問題点からあげてみる。きれいごとの建前だけが目立つ。本人の自己評価が85点という位だから、考え方が甘いということだろう。大体の事にはまず、耳当たりの良い発言をする。耳当たりの良い、明確な意思の見えない発言をする。具体的に見れば、鬼柳、桑原地区の野生メダカは大切なものだから、守りたい。保護活動を長年して来た人には、感謝の言葉を述べる。ところが、それが政策の実行となると、どうしたのという位結果が違う。この4年間でめだかの保全は相当に苦しくなった。それは市長の責任とは言えないが、何の手だても打てなかったというのも事実である。具体的な手立の希望を出してあるが、実行が伴わない。耳触りのよい言葉を聞いていた、保全団体としては失望が大きい。
同様なことが、生ごみクラブでも起こっている。小田原市自身、生ごみ堆肥化の事業は評価している。しかし、3年で打ち切りという意見が財政サイドの意見として出てきている。ごみを減量することは、財政の軽減に役立てようという意味もある。必要経費と減量効果を考えれば、明らかに効果がある。ところが、それを財政サイドは認めない。こんな原則的な事で生ごみクラブが悩まなければならないこと自体がおかしい。二度この事で市長に生ごみクラブとして、面談をした。とてもこの活動を評価している。是非とも進めてもらいたいという。行政としても、この事業を小田原市のごみ処理政策の中で、きちっと位置付けたいと発言している。言葉は素晴らしい。議会でも8000世帯まで配布を続けたいと回答している。それなら、生ごみクラブが安定して運営できる具体的な基盤を作る必要ある。
さらに言えば、小田原電力でも同じだ。2回行われた審議会の議事録を読んだが、市民を排除し(笹村は希望していたが排除された。)即効的な具体性を持たせるという意味は、まるで見えない。環境再生プロジェクトというものが、実効性がほとんどない。パフォーマンスに終わるのか。こういう不安がある。市民会館。駅前地下街。どれもこれも、先延ばしのままで、空転しているように見えてしまう。市民協働の市政というやり方自体が、建前のきれいごとで、耳触りは良かったが、実効性が上がらなかったというのが現実ではないか。その自覚が無く上手く行っている、85点というところが、先行き不安要素。この4年間行政組織自体が、本気で市長を信頼していたようでもない。何とか市長を変えられないかという、市庁舎内の圧力のもとに動いていたように感じるときがある。2期目をやってもらわなければせっかくの、変えようとした成果が確かめられない。市長の方角に乗って、動いてきたものとしてもう一期やらせてもらわなくては困るということがある。
加藤市政の一番の評価は、脱原発をめざす首長会議に参加したことである。きれいごとや建前だけでなく、現実の中で進めるためには、小田原電力を実現しなければならない。本当に事業を進めるなら、担当者は専従が必要。そして、最低でも週一回の全体会議は普通のことだ。どこかに専従で進めているのであればいいのだが。それでももう一期、加藤市政でやってもらわなくてはならない。2期目になれば、行政職員も相当に変わる。新しい人たちは、本気で加藤市政を支える可能性がある。有能な人も多い。市民も参加の仕方が少しは見えてきた所だ。すべてがやりかけである。このまま終わらせる訳にはいかないだろう。地域が良くならない限り、自分の暮らしも良くはならない。私はもう一期やってもらうしかないと考えている。