人口減少の逆転

   

市長選挙に立候補した大野氏がホームページで、30万都市小田原を主張されている。刺激をされて、人口のことを改めて考えてみた。「人口の自然増減」が過去最大の18万人減となり、少子高齢化が進んでいる。 また、入国者数から出国者数を引いた「社会増減」も7万9千人減り、このうち外国人がこれまでで最も多い5万1千人を占めた。残りの2万8千人は日本人だった。日本人が日本を見捨てたのか。確かに急激な減少が、社会的な不均衡を作り出す。それは人口が急増してきた、戦後の社会が、ゆがみが生じたことにと同じことである。江戸時代が安定社会であったのは、人口を安定させたからである。日本という国土に適正な人口を想定して行くことが、一番適切な社会目標であろう。日本列島という国土から考えた場合、水よりも、農地と食糧生産という観点から適正人口を考えることが、もっともふさわしい視点だと思う。

日本の食糧生産の最大値は、1960年前後である。その後農業生産は減少に向かい、農地も拡大もあったのだが、全体では優良農地の転用が続き減少した。それは農業者人口の減少にもつながり、食糧は半分以上が輸入という、日本という国の成り立ち自体を、危うく変えている要因となっている。本来その土地で生きて行くということは、その土地の生産に合わせて生きるということが望ましい。様々な文明繁栄と衰退は、食糧生産の過剰と不足によって起こっている。日本という島国に暮らした人々は、この点でとても良い永続性のある、循環型社会を3000万人規模で作りだした。日本人がいかに優れた民族であったのかは、この点で光っている。それは『手入れの思想』である。自然を出来得る限り改変せず、そこに暮らしを織り込んでゆく工夫をした。農地ですら、準自然という形で、循環永続性のある生産を織り込んでいった。だから、人口は自然一定レベルに安定せざる得ないものであった。

明治以降の富国強兵の帝国主義的日本は、外国に対抗し、凌駕することを目的としたため、人口の拡大すら「産めよ、増やせよ。」の国家戦略に位置付けられた。まるで現代の企業利潤論理に似ている。拡大再生産こそ、善とする思想。その思想としての方角が、やっと一人ひとりの危機意識から、もう拡大より、縮小であるという形で、減少に向かい始めた、民族として健全な反応であろう。これを少子高齢化というくくりで、考えても駄目だ。何らかの仕事に勤務する人が86%といるそうである。小さく独立して起業する。そんなに大げさでなく、小さな中小企業をやる。農業をやるでもいい。こういう独立して生きて行こうという人が極めて少数派になった時代である。ならざる得ない時代かもしれない。だから、大学生が就職難と言うことである。学生であった頃、就職しようなど考えもしなかった。充分に生きるためには、就職するという選択がなかった。それでやって行けるとも、危ないとも考えなかった。62歳を過ぎた今でも、学生のころとたいして変わらない明日をもしれずである。

話がそれてしまったが、人口は減少すべきだ。6000万と言いたいところだが、2060年8000万人という推計があるので、そのくらいを目標に国づくりのプランを立てるべきだ。江戸時代より農業技術も進歩はした。私ですら、江戸時代の倍の収穫をしている。品種改良や農具の進歩もある。もちろん農業技術もすすんだ。循環する農業に戻ったとしても、8000万人は食べられるかもしれない。世界中が少子高齢化社会になる。又そうならなければ地球は破滅する。その先進事例の国に日本がなるつもりで行かなければならない。小田原は20万人でも多い。15万人くらいになってどう暮らすかを想定した方がいい。空き家の増加がこれからの問題になる。建設業者の無理な家づくりが空き家を増加させてゆく。今さら30万人を考えて、農地の宅地転用など進めるなどあってはならない。

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