結果主義
結果主義でなければならない。結果を想定してそこへの道を考える。道筋が見えないことも多いのだが、方角を定めてそこに向かう。鶏を飼っていれば、それが当たり前の日常である。卵が悪くなれば、必ず原因がある。まず考えるのは、この1週間の餌である。だから毎日卵は食べるし、10個近くは割ってみている。卵が良ければ、餌の状態も良い。結果、鶏の状態も良い。すべての結果は原因がある。良い結果を期待するなら、結果に連なる良い原因を作らなければならない。笹村農鶏園では発酵飼料を使う。蕎麦ぬかに様々なものを混ぜて、好気性発酵をさせる。おからに蕎麦ぬかを混ぜて、嫌気性発酵をする。これを餌にする。その結果の卵がどれだけ長く生きているかが、結果である。生命力の強い卵が良い卵である。命を考えればそうなる。有機農業の基準が、やってはいけない事ばかり示しているのは、結果軽視で食べ物としての意味が無い。生産された作物の生命力の強さを判断材料にすべきだ。
政治の事を考えている。瓦礫処理も片付けるという目的より、世論操作に利用しようという意図の方が先になる。正義をかざす建前主義が支配している。原発が破壊したら、原因がある。原因を明確にすることが第一義である。それを究明できないで続ければ、もう一度爆発をする。日本の財政は破たん寸前の借金まみれである。これは深刻な結果である。まず、原因を究明して、借金を無くすという事に進まなくてはならない。どう説明するのも構わないが、借金を減らすという結果を出さなければ、財政破たんである。年金と税の一体改革というが、その為に国の借金が増えるようでは改革どころでない。偽りの正論を述べて、複雑系に持ち込み、国民を欺く。これが政治の手法になっている。確かに日本一国で解決できないこともままある。しかし、結論は単純に借金を減らせたかどうか。そう言う結論になるかである。その為の手が打てているかである。その道筋すら示せないのが、今の政治状況である。
沖縄の基地問題では、沖縄が明らかに負担が大きい。沖縄の基地を縮小することが結論である。後はその結論に向けて、動くだけである。出来ないなら、政治が機能していないという事だ。小田原の加藤市長は、自らの公約の85%を結果を出したと自己評価している。この自己評価は、結果を問題にしていないということである。建前を公約にして、建前に85%触れたということに過ぎない。具体的に言えば、地域の再生。もっとも重要な課題である。何も具体的な結果は出ていないので、達成率と言えば、ほぼ0というのがわたしの採点である。確かに、正論は述べた。建前の範囲では地域も動いた。それだけではないだろうか。それで成果があったとしてしまう甘さが、今の政治を良く表している。きれいごとを述べただけが現状である。泥まみれで現実を変え、結論に向け動き出す行動が無い。こうした政治家の姿が、日本の行きずまり現象を深刻にしている。
野田政権が立派なことを並べた時に、もう少し見て見ようと考えた。ところが、現実を変える力量がまるでない。うわべの正義が空しく響く。TPP加盟問題でも、現実の結果という点はまるで逃げていて、何が目標なのか表明が無い。グローバル企業とアメリカに言われたことに従っているという、流されている状況以外でてこない。今結果主義での登場が、橋下市長である。そこで期待感が集まり始めた。大阪市で結果を出してからのことにしてもらいたい。神奈川県では、黒岩知事が太陽光パネルを推進している。問題はどれだけ他所の件より早く進んでいるかである。足元に戻り、どういう結果を出せるか。政治はすべては結果である。地域が変われば世界が変わる。人間の暮らしが変わらなくては、地域は変わらない。暮らしを変えるのは、段ボールコンポストだと考えて、堆肥をかき回す。