「水彩人」14回展東京都美術館展

   

秋には9月25日から10月3日まで東京都美術館で水彩人展を開催する。公募展なので水彩人に関心のある人は、ぜひ応募して仲間に成って欲しい。絵画と言うものが衰退して行く時代の中で、まさか公募展を設立することになるとは思わなかった。水彩人は水彩画を研究する勉強会が始まりである。そもそもの始まりから数えれば30年以上は経つと思う。あちこち研究会の場所を移動しながら、長沢節先生のところで勉強した人達と、グループ展をやったりした。その頃、三軒茶屋で暮らしていたので、私の部屋でやったこともある。渋谷にあったゆうじん画廊でやらせていただいたこともあった。銀座の美術家連盟でやっていた頃は、春日部洋先生も加わっていた。お茶ノ水の湯島天神で開いていた期間も長い。一貫して、その月に描いた絵を持ち寄る勉強会だった。その水彩研究会を中心にして、グループ展をあれこれ開いた。いつも相互研究をしようという姿勢だけで、続けていた。それが、14年前に水彩人という研究展を開こうと言う事になったのだと思う。

所が設立メンバーの一人に川村さんがいた。この人が水彩連盟の代表になった。これがどうも水彩連盟の中で変に勘ぐられるようになった。権力闘争である。結局、どっちを取るか決めろと言われる事態になってしまった。私としてはどうでもいいことだった。ところが公募展で偉くなりたいという人種が居る。バカバカしいことなので、かかわらず静かに水彩連盟を止めることにした。水彩連盟としてはそれでは済まずに、除名扱いである。公募展を止めたことは良かったのだが、水彩人のメンバーは代表になった川村さん以外は、みんな水彩連盟を止めてしまった。それでみんなでどうしようかということになった。あれこれ議論もあったのだが、都美術館で「水彩人」展という公募展を開催することになってしまった。何の巡り合わせになるかわからない。まさか公募展をやることになるとは。水彩連盟の醜い姿勢に対する反動と言うこともあるのだろう。今までの公募展とは、全く違う公募展をやろうと言うことになっている。

絵画と言うものの社会的な存在意義は、大きく変貌している。絵画は「芸術として」の意味では成立していない。評価していないのだが、商品としての絵画の時代だろう。この事では書いて置きたいことが色々あるが、別の機会にする。個人的な内なる探究としての意味が合いが強まっている。発表した絵画の社会的意味ではなく、個人の生き方の中での絵画の意味を私は問題にしている。描くことで、見つめ直すこと。その時に、非公開でやることと、公開でやることでは違ってくる。あえて見せる必要もないのだが、あえて見せないというものでもない。主張するのでなく、提示する。こんなあり方が許される、公募展を作りたい。審査は必要なのか。良い絵とは何か。根底から考えてみたい。具体的に言えば、偉い人の居ない会でなければならない。運営上の立場はあるが、絵を前にした時には、対等であること。自由に話し合える会であること。今の若い人は公募展など、殆ど興味がないだろう。絵で名を上げよう、富を得ようなど妄想を抱く旧世代よりはこの点ではいい。

2月7日から16日水彩人同人展を「一枚の繪」ギャラリーで開催する。水彩人の目指す物に関心のある人にはぜひ見てもらいたい。ここでやらしていただくのは、3回目になるのだろうか。有難いことである。出品する絵は一応はすでに選んだのだが、画廊に私のようなものが描いたものを並べさせていただいていいのかという気持ちである。申し訳ないばかりである。身の縮む思いだ。3,11以降の暗くなる気持ちの中で、人の命に関するわずかな光のようなものを、祈りのようなものを、画像として描きとめてきたものを、見ていただくしかないと思っている。絵と言えるのかどうかも分からないし、それが果たして人に喜びを持っていただけるのか、疑問がある。出来ることが少ないということだが、先日、川内村に新規就農されたKさんに絵を贈った。気休めに成っていればと思う。福島の避難地域の方に人に私の絵が役立てばと思う。連絡を頂ければ、どなたにでも差し上げたい。

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