田んぼグループ
農の会では自給の田んぼが10グループほど行われている。ほどと言うのは、メンバー数の多い田んぼもあれば、数名の田んぼもあると言う事になる。毎年メンバーは少しづつ入れ替わるのだが、昨年は放射能の影響で、引っ越した人や、止めた人が多かった。その為に今年は、メンバーの募集がいくつかのグループで行われている。と言ってもせいぜい、数名と言うことである。それは、田んぼのリーダーになるひとは限られていて、リーダーの数しかグループが存在できないということである。リーダーが2つの田んぼでいなくなって、何とか再構成している所である。参加者の方はいくつかの田んぼで1名位が不足と言うところだろうか。田んぼの活動は「地場・旬・自給」で行われている。当然有機栽培である。基本の考え方は、月1回の活動日で、参加費用は1万円前後、お米は100キロ前後、と言うことになる。ただし、自然相手の事だから何が起こるかは分からない。
いくつかの約束がある。1つ目は農薬は使わない。どれほど虫や病気で困ったとしても、農薬は使わない。2つ目は田んぼのすべてを自主的に担うということである。初めから終わりまでを、自ら行い自給を目指す。3つ目は分配されたお米を販売してはいけない。つまり、100キロを売れば6万円になる。5万円儲かるからというのは困る。と言ってもこれは私の考えであり、約束事がある訳ではない。農の会で田んぼのグループを始めたのは、グループ耕作の方が合理的だからということからである。こういう基本精神はあるが、実際の運営は田んぼごとに自由に行われている。田んぼグループごとの自由な裁量で、かなり幅がある。わたしが中心にやってきた舟原田んぼでは、面積が25アールメンバーは10家族。歴史は一番古く、塩沢の出発から数えれば20年になる。場所も、坊所に移り10年位、舟原に移り5年が経過した。しかし、欠ノ上グループのリーダーが止めたので、来年は欠ノ上田んぼにリーダーとして移ることになった。止むをえずの事である。
欠ノ上が軌道に乗れば、又舟原に戻りたいとは考えているが、先のことは考えても仕方がない。幸い、舟原田んぼは新しい代表に木村さんが成ってくれたので、一安心である。舟原は10家族で継続される。欠ノ上田んぼグループは現在の所9家族になりそうである。面積が3反あるから、もう1,2家族は加わることが可能である。柿と栗と桜の果樹の畑が1反ほど隣接してあり、それも管理している。川を挟んで対岸には、やはり1反ほどの竹林がある。全体で5反の土地を管理しているグループと言うことになる。久野川から直接水は取り入れており、水の条件は良い方だと思う。田んぼに作られたのは、400年ほど前ではないだろうか。その後、50年前にみかん畑などに変わり、さらに放棄されて使われていなかった農地である。2年前に田んぼに戻し、今年が3年目の田んぼとなる。
田んぼグループの運営は、どこの地域でも可能な形式だと考えている。もっともっと広がると考えていたが、案外に他には広がっていないという話を聞いた。その原因は、多分経済の思想が優先されるからだろう。経済を考えたら労賃が出て来る。日本の最低賃金を考えたら、農業関係の活動は事業的には成立しない。にもかかわらず、管理費用とか、機械代行費用とか言って、まず確保した上で参加者の募集を行う。経済が成り立たない活動が、事業として取り組まれることは無い。農業者は確かに、採算を考えなければ動けない。農の会でも技術を確立したら、一人でやる方が楽だという場合が確かにある。しかし、私の場合はグループの方が楽だと思ってやってきた。つまり、一人で5畝やるよりも、今回のようにグループの代表として3反やることの労力を考えたら、グループの方がはるかに楽である。そんな風に考える人が少ないということなのだろうか。