永続性ある社会
あえて手に余る大きなテーマを書いているのは、転換期に置いては誰もが次の社会について、当事者として意見を出すべきだと考えるからだ。農地の私有制度の廃止。大規模農業地域の確立、都市近郊自給農業地域、中山間地の環境保全農業。と言うことで前回の文章ではおわった。
その前提となる、日本人がどんな社会を求めているのかということが定まらない限り、農業のあり方も決まることは無いだろう。日本人が求める豊かな暮らしとはどんな暮らしなのか。経済と幸福とはどう関係するのか。終わりなき欲望を求め続けているのが、現代社会なのだろう。それは資本主義経済と言う拡大再生産を求める仕組みが根底にある。テレビでは、必要もない商品が欲望を刈りたてるように、ひっきりなしに宣伝されている。消費拡大がすべてに優先されるコマーシャリズム。より経済的な豊かさに至れば、人間としての成功があるという辺りが、大方の了解事項となっているように見える。資本主義経済と言うものが、その前提で成立している。もし人間と言うもののその欲望が抑え切れないものであるなら、人間はこうして終焉を迎えるのであろう。人間が変わり得るという期待しかない。欲望というものは麻薬的なもので、一度堰を切ると、その力は悪魔的に増してゆく。競争に勝つことが目標の社会は、どこまでも安心立命のない社会となる。
現状の悲観的な状況から思うと、あくまで以下は理想論である。農地の私有制度の廃止をして、農地は第3者機関への登録とする。海における漁業権のようなものを考える。農地の耕作権を耕作する者に与える。現状所有している者には、すべてに耕作権を与え所有権を無くす。そして耕作をしなければ、耕作権を失う。農地は財産的なものではなくなる。耕作者を失った農地は、すべての者に入札する権利がある。企業であれ、個人であれ、耕作の目的と方法を提出し、耕作権の対価は示す。審査を受けて耕作権を獲得する。審査時に耕作者が提示する。土地によっては対価を払う場合もあり、対価を受け取る場合もある。つまり耕作地と決めた場所は、どれほどの対価の支払いが生じるにしても、国は対価の支払いを行う。以上の前提として、農地の地域区分を明確にする。大きくは3区分として、さらにその内訳を決めて行く。農地は永遠に農地であり、日本の社会が自給して行けるだけの面積を確保する。
大規模農業地域に置いては、生産性の向上が求められる。農地の集積、機械化の為の農地の整備など、統一した目標のもとに整備が進められる。大規模農業地域に置いては、一定面積以下の耕作は出来ない。大規模農業が可能な道路や倉庫等を含め、基盤整備を進める。
都市近郊を中心に作られる自給的農業地域は、都市住民が自給目的に農地を利用する。ここでの専業農家の役割は、農業技術指導や、日常管理の請負などを主目的とする。都市住民で食糧自給を望む者は近郊地域に暮らしの基盤を作り、周辺農地を借りうけて自給的耕作をおこなう。
中山間地には、国土保全を主目的とした環境保全農業を転換する。中山間地の豊かな保持が日本の自然エネルギーの創出に成るととらえ、循環する農業の構築を目指す。
以上のような農業を行うと言うことは、TPPには加盟ないということに成る。経団連の米倉会長が主張するように、大企業は海外に流出して雇用が無くなると言うことも、一つの予測である。又それは悪いことではない。利益以外に思考停止してしまった企業には、海外に是非逃げ出してもらった方が日本社会の為になる。目先の競争だけに目を奪われるような思想からの転換を、社会全体が持たない限り、世界の終末が遠くない。日本が江戸時代に、鎖国と言う政策によって実験した、成長しない社会。循環して行く社会。経済成長を求めない社会。このモデルこそ、世界の次の可能性である。この循環する社会をもう一度、科学的な進歩によって獲得した技術を利用して、日本モデルを作り出す事。それは今の日本の経済的な豊かさは失うことである。しかし、ここで歩みを変えない限り、未来がないことは明らかになってきた。
昨日の自給作業:小麦の選別2時間 累計時間:42時間