農業技術と科学技術
原発事故以来、科学技術と言うものの革新の先に、人類の終末が待っていると言う思いが強くなった。戦後教育が科学主義というものに置かれてきたことは、戦前の精神主義偏重の偏った教育の否定から始まった。科学という人類共通に開かれたものへの信頼と期待があった。個人崇拝や信仰的狂信によって社会が動かされてはならないという反省が、戦後の方向の一つにあったのだろう。よりどころとしての科学主義。その道は、歴史の浅いアメリカと言う国の単純な正義と結びついて、日本の教育や社会全体に広がった。もう一つの柱が、いわゆる民主主義である。地域でいえば、教育委員会、農業委員会、自治会、婦人会、青年団等々である。草の根的な当事者全員参加型の民主主義が、理想社会の基盤として提唱された。日本人がどう選択したのかは別にして、日本国憲法と同様にアメリカの占領政策の一環として有無を言わせず、過去社会を清算し、新生日本を作り出した二つの理念である。
農業においては。科学技術的農業が伝統的百姓農業を越えるものとして、提唱される。その科学的農業の行き着く先は、遺伝子組み換え農業であり、機械化農業であり、化学肥料と農薬を多投入する農業であり、適地に大資本を注ぎ込んだ、大規模プランテーション農業である。それが人類の利益であるという展望。その弊害は、大多数の地域が必ず競争に敗れることである。条件不利地域では、利益が上がらないために、農業が継続できなくなり、農地が放棄される。日本一国の勝ち負けの問題ではない。日本が目指すべき農業は、日本の人口が食糧自給できて、生産が永続できる農業である。農業が輸出産業であってはならない。適地における大規模農業の推進。都市近郊における自給農業の保証。中山間地における地域維持のための農業の確立。その3方向が政策的に、矛盾なく提唱されなくてはならない。
農業が東アジアで4000年の永続性を得たことを重視する必要がある。それは、日本の江戸時代にもっとも洗練を迎える農業技術であり、人間力に依存した技術体系である。自然と言うものをとことん観察し、折り合いを見つけて行く。自然を改変するのでなく、手入れをしながら最小限の変化の中で、人間の暮らしを織り込んで行く技術。生産性を犠牲にしても、土を育み、子孫に良い田畑を残す技術である。それは江戸時代の里地里山の人間力的技術である。どこまで科学技術が進んだとしても、手植えによる田んぼの合理性はある。人間が田植えの作業から受ける感動のような自然から学ぶものは、変わりなく存在する。人が稲と言う作物を、信仰するほどに深く見て行くことは、技術と言うものと精神が不可分にあることを暗示している。自給的農業を深く行うということは、社会の方角を、拡大再生産ではない、自然のレベルに人間を併せて行くことに成ってゆく。
現代の自由競争を公平とする社会であれば、そもそも基盤が不利な地域に暮らしを立とうとする者がいなくなるのは、当然である。農業には有利地域もあれば不利地域もある。科学技術は有利地域をより有利地域に導くことは得意であるが、不利地域にかろうじて残ってきた伝統的農業技術が駆逐されることに成りがちである。そして不利地域そのものが滅びて行くことに成る。不利益地域など存在しないことが、本来の農業技術である。不利地域であることを受け入れて、その土地の生産性に合わせた形の暮らしを生み出して来た。今永続性を考えなければ、大規模プランテーション農業が強い農業だろう。農地が死んでしまって気がつくのでは遅い。日本は自給農業を唯一の目標にする。農地の私有制度の廃止。大規模農業地域、都市近郊自給農業地域、中山間地の環境保全農業。さらに続ける。
昨日の自給作業:大豆の残り苗の植え付け1時間 累計時間:40時間