自給の暮らし
こうして大災害が起きて見ると、自給の暮らしが良いことが分かる。都会ではスーパーからお米が消えているという。確かに、食べ物を買うしかない暮らしでは、無いとなれば大変なことに成る。普段お米などめったに食べない、外食派もともかく買っておこうということだろう。この一人のともかくが起こると、何でも忽ち無くなる。海草が放射能汚染に良いとなれば、慌てて食べることなることだろう。日常少しづつ食べていることが大切であって、急に食べだすのもどうかと思う。これからの時代、「地場・旬・自給」だと考えたのは20年ほど前であるが、悲しい災害でその重要性が再認識される。災害が起きて見ると、流通が途絶える。忽ち生活が困難になる。東京で暮らしに困るような、崩壊があった訳ではないが、都会の暮らしが実に危うい綱渡りであることが見える。外食暮らしが明日をおしれない不安定なものであることが分かる。
『地場』は地域の循環である。できる限り小さい範囲の循環を作る。一つの集落が単位となる。そこで基本食料の循環を作り出す。80個ある舟原集落であれば、ある程度の循環は可能となる。人口が200人の集落であれば、一人100坪として、2万坪の農地である。7ヘクタールの農地である。舟原は山際の集落であるが、そのくらいの農地は確保可能である。多分江戸時代の集落はそのくらいが基本単位であったのだろう。それはその土地で出る廃棄物を含めた、循環もその地域で行えるということである。糞尿の循環まで含めて農地への還元が可能ということに成る。
『旬』はエネルギーの有効利用である。自然に即して暮らす。食べ物は自然環境の中で作る。その土地で手に入るエネルギーを工夫して利用する。里山はエネルギーである。薪炭林の重要性。再生しながらエネルギーを確保できる範囲の暮らし。自然を大きく改変せず、折り合いをつけながら、手入れをしながら、自然の中に暮らしを溶け込ませてゆく。大きく破壊せず。人間の方から自然に身を寄せて行く旬を感じる暮らし。里山は食糧生産地でもある。1日一品は里山から得ることが可能である。
『自給』は自ら作るとことである。食糧を確保するには一人100坪の土地と1日1時間の労働で可能である。一切の化石燃料を使わず、可能ということである。まずは誰もが自給だけは行う。勤めに出るものも、土曜日曜に7時間の農作業を行う。これだけで、食糧は確保できる。これは小田原の姿である。冬場農作業の出来ないところは沢山ある。農作業が出来るときに2時間働くことである。その分冬場に他の仕事に専念すればいい。家を作るとか、水路を作るとか、佐渡の大工さんが小田原の家を作るようなものである。
先端技術と同じことで、自給を支えるためには技術である。江戸時代集積した技術はとても貴重なものである。その技術と仕組みを再構築する。その上で、現代が獲得した科学技術の中で、永続性のある技術を選び出し利用する。そうすれば、化石燃料など全く使わないとしても、この日本の国土で、江戸時代の倍の人間が暮らせるだろう。まだ人口は多い。自給の暮らしは都市の消滅でもある。スーパー堤防はいらないのである。津波の来るようなところに住居を置かない。水田であれば、津波で壊滅的な結果に成っても、また作り直せる。日本全土に分散して暮らす。必要最小限の暮らしの構築。