露木町長の県知事選出馬

   

開成町の露木町長の県知事選出馬の話が出てきた。おっとと、という感じだ。確かに露木町長はなかなかの人材である。この地域を育てて行く、大切な人である。神奈川県知事に成ってしまうのでは、何とももったいない。地方から都会への、人材の流出。それでも、開成町の町長で収まりきらない人ではある。それも事実である。その前に松下政経塾出身の松沢知事の立候補には、正直腹が立った。神奈川県から出て行ってくれたのは良かったのだが。何か考え方、感じ方、発想が違う。東国原氏もそうだが、東京が一番偉いというような、権力志向が見え見えで、厭な感じだ。日本の現代の政治家の一番厭らしい側面だろう。少しでも目立ちたいと、上ばかり見ている。東国原氏は宮崎を良くしたというが、畜産の危機的状況は、何も変わらない。むしろ悪化している。

露木開成町長の場合は、県知事をやったらば、もう一度開成町の町長をやってくれるかも知れない。そう言う地域の人であって欲しい。小さな地域を、大事にする地方分権。地域を充分に知りつくしたうえで、県知事をやるのは悪くはない。小さな地域が、自立してやってゆけるような、県政であればと思う。神奈川県はそもそも、横浜と川崎は別物である。では小田原では、県は何を行っているのか。明らかに二重行政である。行政が小田原市だけなら良い。神奈川県だけなら良い。市民協働と言っても2つの行政の責任のなすり合いの間に、市民が立ち往生してしまう現状がある。今のままなら、行政としては神奈川県はいらない。国と、小田原市があればいい。私は3つのかかわりで、この共同事業を経験している。実に効率が悪く、仕事をやっているという弁解の為に使われているような、厭な感じがある。

例えば、メダカのことでは、小田原市と神奈川県と地域住民と環境団体とが、メダカ協議会を作っている。その上に、小田原市のメダカ会議というものもある。この連携の悪いことは、度を超えている。あしがら農の会では、頼まれて田んぼをやっている。5メートル幅の細長い田んぼである。メダカの為にメダカ協議会の話し合いに基づいて、地主さんにお願いして貸していただいた。田んぼをやるのだから、当然田んぼに成っていなければならない。所がひどい状態のまま、ほったらかされてしまった。それでも2年間田んぼを耕作した。しかし、いつまで直さないのかと怒り心頭である。ところが、協議会の話し合いの席では、県土木はきれいごとを述べる。口ではうまいことを言うが、2年間何もしない。2か月前にも直すと協議会の席上明言した。にもかかわらず、連絡すらない。そしてまた会議である。何故会議をするかと言えば、表面的な体裁だけはこだわるからである。

県知事に成り何をやりたいのかを、明確にしてから立候補して欲しい。多分、露木さんの事だから、地方分権という言葉を述べるだろう。それは良いが、県としてどんな権限をどのように地方に与えてほしいのか、また市町村にはどう与えるのかである。以前、露木さんから地方分権の観点で、何か問題があることがあれば、教えてほしいという機会があった。長年苦労している食品リサイクル法の問題を伝えた。この法律が出来て、小さな畜産業者では食品廃棄物を利用できなくなった。食品リサイクルとは名ばかりで、厚労省が管理を強めただけで、リサイクル業者の為だけの法律である。そう言うところの圧力で出来た法律なのだろう。名ばかりリサイクルの法律である。小さな畜産業者が、お豆腐屋さんからおからをもらうこともできないようにした法律である。地域の行政に許可権を与えてほしいということである。理解できたと思ったのだが、残念ながらそれっきりである。

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