環境ネットワーク祭り
小田原駅前の地下街で、環境ネットワーク祭りが開かれる。3月13日である。
生きごみクラブで段ボールコンポストの展示の参加をする。そこでは小田原市が行う、4月からの段ボールコンポストの無料配布の予約代行をしたいと考えている。是非とも大勢の方に参加して欲しい。ここには環境関連の各団体が集まるのだから、生ごみを燃やせるごみとして、焼却処理を続けているのは、まずいと考える人も多いだろう。環境を考えれば、当然、自分がやれることからやるべきだ。ここに訪れる人たちよりも、参加団体の皆さんに呼び掛けたいと考えている。100名ぐらいは集めたいと思う。是非とも、先行予約をしてもらいたいものだ。参加している団体が、6つ出ている。他の活動団体には申し訳ないが、今回は、段ボールコンポストに集中させてもらう。
段ボールコンポストは実に簡単なものである。様々な方法を試みてきたが、段ボールコンポストにまさるものはない。誰でも手軽できる。費用もかからない。相当の消化力があって本格的である。しかも、暮らしの見直しに成る。食べ物が田畑で作られるものであるということが、実感できる。これはもう、「世直し」と言いたいぐらいなのだ。小田原の市議会の中でも、広域化して、溶融炉を取り入れる方がいい。こういう意見もある。全国的に見れば、何でも燃やしてしまうのが一番だという自治体が多い。東京都の石原知事などその典型である。果たしてそうした方向で、永続性のある社会と言えるかということである。今、目の前の損得勘定だけでいえば、確かにそうなのかもしれない。しかし、それでは人類は滅びる。このことだけは、まちがいのないことである。燃やして循環を断ち切れば、遠からず消費の限界が来る。先の長い小学生なら分かることだ。石原都知事のお歳なら、終わりは見ないで済むだろう。
今の世の中、八方ふさがりに見える。しかし、江戸時代に比べれば科学が進んだ分条件は良い。日本という国土に、江戸時代の倍の人口の6、000万人位なら暮らせる。このまま少子化が続いてくれれば、今の半分くらいの人口に成るだろう。そうなれば何とかなる。希望はある。少子化対策など間違った政策をとるのは、今40歳以上の人間が自分達が死ぬまでの安心を願うからだ。そう言う人が政治をやっているから、子供を増やして養ってもらおう等という、愚かな考えに至る。原点に戻る。名実ともに江戸時代に戻ればいい。江戸時代の鎖国で試した、260年を思い起こすべきだ。その範囲でやれば何でもない。段ボールコンポストは、江戸時代にタイムスリップする、ステップに成る。始める前には何かバカバカしいだろう。そんなことやらなくても大体はわかっている。こう思われるだろう。ところが、初めて見ると奥が深い。
自分ひとりで循環の輪が描けるのだ。生ごみを段ボールに入れて行く。堆肥に成る。その堆肥でプランターで野菜を作る。それを食べてみる。素晴らしい美味しさである。一つの輪が出来る。この輪を実感した時、色々の輪が見えてくる。ところが、そうかと思って、分かって止めてしまう人が多い。自分ひとりがやったところで大したことはないと、考える人ばかりといっても良い。多分、そうして社会は出来ている。一人では意味がないということと、一人からしか始まらない。両方が真実である。ここに次の社会のヒントがあると考える。社会が巨大化して地域が失われ、個人というものの意味が消えてしまった。自由になったはずの個々人が、疎外され自分を無意味な存在としか感じられなくなった。もう一度個人が存在して、地域が出来上がり、大きな社会に成っているという、全体像を描く必要がある。その第1歩が段ボールコンポストを始めてみることである。そうだ「環境ネットワーク祭り」だ。