小田原市総合計画
これからの小田原の方角を示す、地図の素案が行政から出ている。自分が関わるいくつかの分野において、何度も何度も読ませていただいた。先ず、農業の分野の事から感想文を書いてみる。
15農業の振興【目指す姿】
安定した農業経営が確立され、遊休農地が減少するとともに、小田原の農産物を求めに多くの人が訪れ、交流施設や直売所がにぎわっています。
分析も、方角も間違っている訳ではないのだが。イメージできるだろうか。この文章の作成に関わった方が、ご子息から「こんな文章を読んだので、小田原で農業を始めたい」と言われて、果たして農業をやりなさいと進められるだろうか。
4つの詳細施策が実行できたとしても、残念ながら小田原の農業に展望が開けるとは少しも思えない。例えば、②生産基盤の整備として上げられている三つの施策は1、圃場整備、2、農道整備、3、用排水路整備。具体的にはどの程度の規模で、どの地域に行われるのかが、見えない。確かに田んぼの水路の個々の農家による維持管理は限界に近い。しかし、その程度の事で、国際競争力ある農業と言うレベルの、生産基盤が整備されるとは、到底思えない。ほんの10メートルの水路改修でさえ、現物支給すらないのが今の状況である。都市農業は美しくなければならない。これは、農水省でも取り上げている。耕作されない田んぼが増える中、水路の維持管理ができない現状が増えている。整備は必要であるが、日常的管理が既に限界になりつつある。現状を踏まえた、可能性のある方角にはなっていない。
少ない労働力で管理をするためと思われる、水利組合の賦課金は施設の改善に費用がかかると倍増した。地代の30%から50%と言う状況になっている。農業の環境維持機能重視とは、大きく食い違っている。何故、都市農業は美しくなければならないか。それは、農業への税金の投入の国民的コンセンサスを得るためである。ただの生産工場であれば、農業への多額の税の投入は必要ない事になる。もし、産業の規模に相応しい、税の分配となれば、農業分野への税配分はいくらも無いことになる。圃場整備においては、田んぼ地帯と、畑地帯と、果樹地帯と、全く違う状況にある。形ばかりの整備を満遍なく行った所で、農業振興につながるとは想像できない。
新しい大きな視野を持った農業の方向性を示す事が行政の役割であろう。まず、小田原農業が置かれた状況を考えれば、広い一元化された圃場はない。大きく団地化出来るような集積がない。大型機械による機械農業が展開される可能性が低い。国際競争力のある農産物を、目指した所で不可能である。
この認識を持った上で、どのような方角が取れるかを指し示す役割が、この素案には必要である。
小田原農業の方向は、地産地消と環境調整能力に絞るべきだ。地域に大きな消費者が存在している。農地面積から言って、全ての農産物は、地域で消費可能である。具体的にいえば、お米は全量小田原市が購入し、学校給食に利用する。周辺の観光地を含めて考え、地域の消費者、周辺観光地を目的にした、農産物に特化すべきだろう。適地適作を考えれば、キューイを小田原農産物として、集中的に力を入れることも可能性がある。そうした方向性が、素案にはかけている。どうやって地域の消費者に地域の農産物を届けることが出来るか。この具体的な流れを示す事が、行政の役割である。行政の役割は可能性のある構想を示す事である。行政内部にそうした能力が無い場合は、外部の力を借りて、構想を立てることである。構想を実行するのは、あくまで当事者たる農家である。行政は法的な部分、事務所的役割に限定して、行えばいい。
例えば1、学校給食の地場産農産物の流通構想。2、地域の八百屋さんの引き売り商売、配達の連携。3、朝ドレファーミーの小田原駅前版の可能性。4、地域のスーパーとの連携。5、箱根の観光業への農産物の提供の仕組み。6、果樹の通年摘み取り園の総合的形成。7、新しい農業者を迎え入れる仕組みの構築。
もう一つの柱は、農業によるより良い生活環境形成である。水田の役割。都市周辺に農地が点在する事の有り難さ。こういうものが、全ての市民の恩恵に繋がるものとなるような、農業の公園的機能の方向性を示す事。小田原めだかは小田原のシンボル的価値である。しかし、その生息地を破壊する大きな道路が工業団地構想によって、作られた。それは小田原市の方向性が定まって居なかった証拠である。農業地域を特定し、その地域が不利益地域にならないように、手立てを打ちながら、徐々に里地の再生をはかる。そのための法的整備を行う。地域指定を行う。