水彩連盟退会のこと
本来なら今頃水彩連盟展である。今年は退会したので、出品していない。何故こう言う事になったのか記録しておきたい。水彩人が出来た経緯は、水彩連盟の会報「水脈」に書かせてもらった。水彩人は今年12回展を行うのだから、12年も昔の事である。その文章が先日水彩連盟の総会で、水彩人の除名の総会の席で、退会の理由として配られたようだ。そもそもの設立の趣旨が多くの水彩連盟の会員には不満だったようだ。水彩人は自由な相互批評が出来る場を作りたいという願いがあった。お互いの絵を並べていながら、絵の内容については、口を閉ざしている。互いの絵の相互批評が出来ない公募団体である。つい最近独立美術の会員の方に、3名の芸術院会員の方の絵の事を批評できる空気ですかと伺った。できないと言われていた。どこの団体もたぶんに同じような状態のようだ。
何の為に、絵の団体があるのか大いに疑問である。フランスのサロンを真似たのだろうが、そういう貴族社会的権威があるわけでもない。会員相互の自由な絵画についての議論すら生れない様な場で、絵を描いてゆく事は、自分の絵画に向う精神として、あってはならないと考えた。辞めれば済む事にはなるが、会を変えようと努力もしないで、辞めると言う事もおかしい。そこで、どなたの絵も、正直に批評をした。これは何も生み出さず、反感だけ買った。もう一つに、議論ができる仲間の会を設立したみたのが、水彩人である。水彩人という仲間の動きから、本体の水彩連盟も変って欲しいと言う願いもあった。水彩人の役割がどうであったのかの評価は、自分自身の10年間の変化である。かけがえのないものであった。この会がなく、もし12年間絵を続けていたとしたら、考えても怖ろしい事である。
水彩連盟展で変えたかったもう一つの事は、絵の大きさについてである。何故、20号以上と言う枠があるかである。世間での、あるいは世界での水彩画は、20号、中盤全紙サイズまでである。水彩画家として著名なクレーにしてもそうだ。水彩という素材がそもそも、紙の小さい絵において生きる材料だから当たり前の事。水彩連盟の委員会で、二回この事を提案したが、良く議論もされずに却下された。理由を考えるに於いて、アクリルと言う材料で書いている人には、想像もできないことだからだ。実は、水彩連盟と言いながら、その実態はアクリル画を描く運営委員がいる。どう考えても、アクリル画は水彩画ではない。アクリルと言う材料がいけないというのでなく、水彩画の中で、アクリル材料を使ったほうがいいと言う場面はあるかも知れない。しかし、布キャンバスに、全てをアクリル画で描いて、油絵以上に盛り上げて使っている。こういう絵画を水彩画としておくのは良くない。
こういう主張も会の中で行ったが、まったく理解がされないどころか、評価されるものはアクリル画に偏っている実状がさらに進んだ。今年の1月末に突然、総会で決まったと言う事で、「水彩人か、水彩連盟かどちらかを選べ。」と言う、手紙が来た。理由は水彩人が公募団体であるからだそうだ。意味不明である。総会で決める内容が連絡もないまま、除名に等しい処置が行われることは、あまりに許しがたい事であった。水彩人は作品を公募する公募展ではない。会員を公募してきた第3に道を目指す同人の会である。弁明の場すらない。法的処置をとるべきかとも考えたが、これほどひどい人達で出来た会に、これ以上居たくないと言う気持ちの方が強くなってしまった。もうイイと言う感じか。2月20日までに連絡がなければ除名に成るとあったので、そのままにした。こうなった以上、水彩人はいわゆる公募展を目指さざる得なくなった。そう追い込んだのは、水彩連盟である。
自給作業:さつまいも苗つくり等1時間 累計時間:1時間