9月の畑
だいぶ朝夕は肌寒くなった。作物も夏の旺盛な生育のすがたから、秋の実りのすがたに徐々に変わり始めている。畑もわずかだがコントロールが出来る自分の土壌になってきた感がある。この自分の土壌の畑にするには10年かかるとするなら、まだ3年目である。しかし、土づくりだけを進めてきたので、10年を3年ぐらいに短縮すべく努力している。一番変わってきたのは、雑草の傾向である。手に負える草になってきた。ソバカスばかり撒いているので、蕎麦があちこちから出てくる。蕎麦だけが出て他の草が出ないなら、もうそれで良いというような感じだ。基本的に草は生えたままにしたいと考えている。草が生えたままで、作物が出来るためにはそういう土壌にしなければならない。それが一つ間違うと、ただの荒地になってしまう。草を生やしているのは、土壌の豊かさを保つためであり、決して省力化しようという意味ではない。楽をするなら、草を取ってしまった方が楽なぐらいだ。作物を守るために草と共生させると言うのは、なかなか難しい事なのだ。
現在、大豆とインゲンとトオモロコシが草に埋もれながら、生育している。(写真)これこそとてもいい状態だと考えている。多分大抵の農家に怒られるような状態だ。これが虫にもやられないし、風にも強い、しかも良い作物が出来る状態だと思っている。一歩間違えば少しも収穫はなくなる。難しい壁はあるのだが。良い作物とは、生命力の強いと言う事である。そういう物を食べたいと考えている。生命力の強い作物を美味しいと感じるように、自分の方を変えようと思っている。人の味覚が既に狂っている。化学的な添加物を食べている間に、味覚がおかしな方に統一されている。濃厚な、強い味でなければ味わいにくくなっている。小川町の渡辺豆腐で、最高の味の豆腐を食べた。しかし、これをまずいという人もいた。それは仕方がないことだ。本当の物より偽ものの方が、口にあう人が多数派なのだ。豆腐の味がわからない、料理人を知っている。豆腐という物はそういう素朴な味覚をテストするのに、最適な品物だ。
この時期の種蒔き、植え付けは秋じゃが、きゃべつ、ハクサイ、ブロッコリー、人参、レタス、多種多様に冬の収穫物が畑を順番に埋めてゆく。一番畑が込み合う季節かもしれない。まだ夏の野菜も充分採っている。なす、キュウリ、トマト、オクラ。そして、イモ類も、長ネギも畑で頑張っている。夏野菜の片づけが農家のレベルを表わすだそうだ。確かにいつまで取れるからと言って食べていたら、冬に困る。いよいよ、カボチャは収穫した。50個ぐらい昨年は採れたが、今年は40個ぐらいのようだ。これを保存しながら、春まで食べるのだ。果樹の方も栗が少し取れた。果樹も今年は成長が著しいので、来年辺りからは結構実るのではないだろうか。去年のこぼれ種から、下草のようにカラシナが生えてきているので、上手くコントロールして、鶏の緑餌にしたい。クリムソンクローバーも再生するのかどうか、この後の草を刈るタイミングは大切だろう。そう、田んぼの方の冬の緑餌を蒔くタイミングも新調に考える必要がある。
9月の畑は腕の見せ所。夏草をどのタイミングで刈るか。雨を見ながらの種蒔き。そして、冬の間、土壌が傷まないように全面が草で覆われること。いい畑は美しい。人知を超えた力が畑に備わってくる。土の力を読み取り、反応しながら作つける。今年はタマネギを黒マルチで、作ろうと思っている。大豆の後の予定である。とうもろこしとインゲンの後には麦をやろうと思う。草を生やしては表土を覆ってゆく。その表土にそばのカスをまく。それは堆肥を畑で作りながら、作物を栽培すると言う事だろう。状態のコントロールはとても難しいが、沢山の腐食が畑に蓄積されれば、生き物の豊かな土壌環境になる予定である。そうなれば、持ち込みなしに畑だけで循環が生れると考えている。少しではあるがその感触が感じられる。
昨日の自給作業:草刈、植え付け2時間 累計時間;6時間