岡本おさみ

   

襟裳岬という森進一の歌う歌謡曲がある。作詞は岡本おさみである。素晴しい詩だとはじめてきいたときから感じた。メロディーが良くないので好きな歌という訳ではない。この詩の良さが殺されていると思う。何故、急に今更この歌を思い出したかといえば、「きっこのブログ」でこの、この岡本おさみ氏の詩を屁理屈でけなしていたからだ。けなすのもちろん自由だが、この詩の素晴しさがわからないとは驚いた。あえて、版権違反で起こられるかも知れないが、この詩の素晴しさを知ってもらうために、ここに書かせてもらう。岡本さんの素晴しさを讃えるためなので、お許し願いたい。また、読む際はあの森進一の作ったコブシの効いた印象は出来るだけ払拭して、現代詩のひとつとして読んでもらいたい。吉田卓郎の作曲であるが、彼の作曲は音楽としてのレベルのものには、思えないのだ。全部はまずいので二番と、三番の歌詞だけにしておく。

北の街ではもう 悲しみを暖炉で
君は二杯目だよね コーヒーカップに
角砂糖をひとつだったね
捨てて来てしまった わずらわしさだけを
くるくるかきまわして
通りすぎた 夏の匂い
想い出して 懐かしいね
襟裳の春は 何もない春です

日々の暮しはいやでも やってくるけど
靜かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い馴らしすぎたので
身構えながら 話すなんて
ああおくびょう なんだよね
襟裳の春は 何もない春です
寒い友だちが 訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ

許すおもい、受け入れこころ、のいい詩だ。北海道の人の温かさは、現代日本人には希な、弱者に対する共感の暖かさがある。先日もそういう農業の方にお会いした。まず、受け入れる温かさがある。それは、開拓の歴史から生まれたものだろう。岡本氏は鳥取出身。一年の半分は旅に暮しているそうだ。この詩もたまたま立ち寄った、襟裳岬のおじいさんとの出会い。それが詩の原点。日々の暮らしは、いやでもやってくる。それを、笑って受け入れようなんて、何て素敵なことか。臆病もの同士なのだから、許せるよね。少しセンチメンタルで、甘ったるい感はあるかもしれない。こうした言葉で、こういう思いを伝えることが出来るというのはすばらしい才能だ。最近元気出せよ、風の歌がある。それもいいのだけど、本当に傷ついた人間に元気出せはちょっと辛い。

岡本おさみは新しい詩人だった。私の世代には今までにないものとして現れた詩人だった。その後の歌謡曲の多くが、影響下にあるといえるほどの詩人だと思う。時間が来た。今日は小川町に行くことにした。後でもう少し書き足したい。

昨日の自給作業:ジャガイモの植え付け、ほか3時間 累計時間:4時間

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