明星岳登山道開き

   


明星岳登山道開きが行われた。写真は頂上での加藤市長を囲む参加者の様子。私は最後尾担当だったので、この時はまだ、尾根に出た頃だっただろう。何しろ、70人以上が隊列を組んで登って行ったので、20分は先頭と差が開いた。朝夕見上げている山に、こうして地域の人達と登れるだけで、感無量だった。小さい子供から、お年寄りまで、それは幅広い年齢の方々が参加してくださった。広報で参加者の募集が行われた。当日、急な参加をされた人なども入れて、登山道開き式には100名を超える方が参加してくれた。とくに、地元和留沢の皆さんが早朝より何かと準備をしてくれていた。いつもは静かな和留沢の美しい集落も、この日はよそ行きで、とても華やいでいた。和留沢は花で集落中が整えられているのだが、4月18日と言うどこもかしこも花が添えられたような、良い日となった。

100人の人が集まると成ると、先ず心配となるが駐車、何の混乱も無く完了した。準備万端。開通式典には、市長、市議会議長、地元小中の校長先生、と参加戴いた。式典では、向山神社宮司によって、神事が厳かに行われた。行政の事業では今は神事は行わないと成っているそうだが、里地里山協議会の主催と言う事で、皆さんの合意で、神事を行う必要があると決まった。やはり、山に対する畏敬の念を表わすには、神事によって登山道の開通を祝うことがしっくり行く。地鎮祭、ふいご祭り等でもお願いすることはあるが、今回ほど、気持ちを込めて加わることが出来たことは無い。これは宗教とはべつの物のだ。山という存在との対し方では無いだろうか。そして、太鼓の演奏。これが場に相応しく、実にすばらしいものだった。テープカットを行い、太鼓の鳴り響く中記念登山の開始。全てが順調に進んだ。

とても見事な式典になり、主催者として誇りを感じたが、実はほとんどが行政の人の準備であった。全く休日返上で準備万端整えてくれた。今回の「うつくしい久野・里地里山協議会」の共同体性は、地域の運営の良いモデルケースになる。地域の人が何を行い、行政が何を行うか。こうした分担、役割の精査が必要だと思う。やって見なければ分からない事が多かった訳だが、行政は配慮が行き届いている。全体を見渡す能力が高い。地域の人は行動力することできる。少しづつでも大勢となれば相当の事が可能となる。4年間、会議だけでも20回を数える。そのことを通して、随分互いに気持ちが通ずるようになった。最初の頃は、団体交渉のような、不信感をあらわにした会合だった。目的も明確に出来ないまま、新しいボランティアの刈り出し方のような、不思議な進み方だった。自治会の活動なのか、地域の農業者の活動なのか、はたまた環境運動なのか。先が見えない中進んできた。まだ、これで良しという訳ではないが、スタートラインにたったことは確かだ。

これから、いよいよ事業の開始になる。地域の人の生業にどれだけ役立つことが出来るか。ここにかかっているのだと思う。地域にある農林業が、活性化されて始めて、里地里山は手入れが行われる。豊かな山に成ると言う事は水が良くなると言う事。水が良くなれば、田んぼも良くなる。海も良くなる。全体の循環の要になるのは、地域の農林業が生きてくることにある。久野地域は豊かな恵まれた条件の場所である。ここで農林業が存続できないようでは、日本中どこだって、存続など出来ない。茶業。植え木業。鉢物。田んぼ。野菜。柑橘。キューイ。今残る姿は、この悪条件の中、生き残ったとても強い姿なのだと思う。これらの生業の連携がとれ、より生き生きとして来ることが大切なのだろう。今日は田んぼの種まきであるが、こうした一つの事が、全体の中でどう生きてくるのか。楽しみになる。

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