司法の公正、公平、中立
民主党の小沢一郎代表は24日夜、公設第1秘書の大久保隆規容疑者が政治資金規正法違反(虚偽記載など)罪で起訴されたことを受けて、代表の続投を表明した。この問題には気になる点が二つある。一つは、東京地検には国の政治を、動かす力があると言う事がわかった点。虚偽記載以外は立証できない根拠で、今最も政治の焦点である「政権交代」に大きく影響ある行動を取った。もし、西松建設事件でこれ以上の起訴が出来ないとするなら、小沢氏が最初に主張したように、突然の逮捕と言う不自然な行為による、意図的如何にかかわらず、政治介入という可能性がある。同様な手法によって、政治に影響を与えたいと言う人間が、今後出てくる可能性があると言う事になる。司法の権威が失われれば、「公正、公平、中立」は崩れることに成るだろう。権威とは自ら作り上げる歴史だ。今回の東京地検の行動は、その歴史に汚点を残し、中立を神話としかねない行動ではなかったか。
肝心の西松建設事件は相変わらず、闇の中にある。海外で不正に得た資金7000万円の行方。正確ではないが、1000万円以外は行き先は見えていないという事だ。検察の捜査能力が問題なのではないか。能力不足から、小沢氏への賄賂と言う、思い込み捜査に走った。虚偽記載というのはダミー組織からの献金を、西松の献金と認識していたかどうかであって、くだらない意味論に過ぎない。西松が賄賂を使い、公共事業を受注したことを、証明できるかどうかが焦点。その自信がないなら、手を出すことは政治介入となる。自民も民主も、迂回企業献金で運営されている。百も承知の事だ。その処理を間違った程度では話にならない。大久保秘書の処理能力の不足が問題で、その程度の秘書しか居ないというのでは、小沢氏もたいしたことがない。と言うのが自民党の本音ではないか。この機会に、小額の政治献金を税金の減免とするようにしてもらいたい。それ以外の政治家、政党への献金は一切禁止する。小額とは5万円くらいまで。パーティー券の購入などと言う、不思議な便法が横行している。するほうもされるほうも、本人が居なければいけない。当たり前だろう。何百万円もパーティーに出すなど、いかにも政治の世界の不健全を表している。
司法への政治介入では、最高裁判事の任命に実におかしない事が起きている。竹内行夫氏の任命を麻生内閣は行った。イラク戦争に派兵した外務事務次官である。イラク自衛隊派兵では名古屋高裁判決では、憲法違反を指摘されている。もちろん多様な意見があるのは、当然である。しかし、ここまで思想の傾向のハッキリしている元外務事務次官を、最高裁判事官に任命するのは司法介入の、手法である。こうして「政治から、司法から」と公正、公平、中立をないがしろにしていないか。公正は作り上げるものである。国民がこぞって育て上げるものである。麻生政権に自らの憲法解釈があるだろう。そのためにも、都合のいい判事を任命したいだろう。しかし、そこを我慢するのが、司法を守り育てる要件になる。
もう一つ言えば、司法を駄目にするのが、裁判員制度である。司法の権威を失墜させることになる。司法は一段高い位置から眺める目が必要である。庶民的目線や社会的雰囲気は、要らない。絶対的公正が求められている。「裁く者が裁かれたい裁判であって欲しい。」私には到底出来るものでない。又素人に出来ないくらいの権威的なものであってほしい。どうしても裁判員制度を作るなら、死刑廃止をし、終身刑を作る事が大前提であろう。誤審、あるいは量刑の間違えで、死刑判決を出した裁判員は殺人者になる。日本の民主主義を育てるために、裁判員制度が必要という意見がある。しかし、裁判員の適正想定質問には、死刑制度の賛否もある。思想信条の調査が行われる。公正中立と選択された人間のみが、裁判員になる。これが民主主義であろうか。国民一人ひとりの尊厳が守られ、育つ為に現行の裁判員制度は何の益も無いだろう。