子供の仕事
毎日新聞によると、文部科学省と内閣府は、不登校と高校中退の経験者約3300人の4年後の意識や就業状況などについて、緊急の追跡調査を行う方針を固めた。ニートなど若年無業者(15~34歳)は62万人で、フリーター(同)は181万人。不登校の小中学生は2年連続増の12万9254人で、中学生の不登校の割合は2.91%。高校中退者は7万2854人。同様の調査が、99年93年と過去2回行われているらしい。調査と言っても都道府県の協力で、書面アンケートを行うと言う事らしい。体力テストでも感じたが、一体調べて何をしようというのだろう。想定するとするなら、不登校の児童生徒は、フリーターやニートになる。と言う事を把握したいのか。体力がなくなっている程度の事なら、無神経に行っても許されるが、無目的に国がこう言う事をやってもいいのだろうか。
と考えるのは、実はタイミングと背景が悪い。「派遣切り、期間労働者の解雇。」この問題が見える。財界や麻生首相の主張は正規雇用を避けたがる、若者の傾向をクローズアップしようという、意図がどこか見え隠れする。今起きている社会現象を、企業や政治の問題ではなく、個人的な人間のタイプとして処理しようとする。社会の必然的に生じる、人間の性向としての不可避な問題に摩り替えようという意図が見えなくもない。勘繰りかもしれないが、自己責任の回避傾向が政治にも、官僚にもある。100年に一度とか説明して、自己責任を逃れる。不登校の生徒は、正規雇用社員にはなりがたらない。学校や文部省、まして政府にはどうにもしょうがない個人的問題なのだ。こう言う事を言いたいがための調査になる不安がある。
問題は、日本という国が目的を喪失したことにある。目的を喪失した結果、お金だけが共通目的として、登場した。ホリエモンが自民党から立候補した事が象徴的だ。子ども達は本音で観察している。「金持ちが偉い」こう思っている子供が沢山居るように思う。明治時代は「末は博士か、大臣(大将)か。」が価値観。その影響か、博士には憧れがある。今や大臣よりお大尽であろう。そうした社会の傾向の中で、格差が広がってゆく。戦後狭まってきて、60年代は格差がなくなるのではないか、日本独自の修正された資本主義が作られるのではないか。こう言う幻想がうまれた。ところが、資本の方向はむしろ、グローバリズムの中で、国家目的を越えた利益の追求が生れる。企業税を高くするなら、企業そのものを外国籍にしてしまうというような、選択。政治も企業の脅かされるように、徐々に格差を広げる政策を選択する。優良企業が外国に出て行ってしまったらどうする。こんな言葉を聴いた。
日本という国は一体、何を目的にしてきたのだろうか。金儲けの前に、資本流れである利益追求の前に、国の目的を見失ってしまった気がする。その結果が、ニートであり、フリーターではないか。経済危機といわれたとたん、日本社会全体がフリーター化してしまったようなものだ。お金にならなくても、働きたくて働く。そういう仕事はどこにもない。仕事が人生の目的とはならなくなった。仕事で得られる金銭的価値だけが、重要なことになった。金銭的な成功者と敗北者の2極化した社会がさらに強まる。こう子ども達は感じている。政治や行政は、社会はここを変えなければならないのだろう。「子供の仕事は人生の目的を見つける事。」これは父に繰り返し言われたことだった。