コッコ牧場の引越し

   

こっこ牧場は小田原で始まった、路上生活者の生活再建の活動として、始まった。やっているのは杉山さんと言われる、小さなおばあさんのクリスチャンだ。ダチョウの飼い方を教えてもらいたい、と言うのが最初の出会いであった。ダチョウは飼った事がないので、その時は山北で飼っている人がいるので紹介した。所がその方が、病気をされたとかで、ダチョウを飼っていなかった。それで、なぜダチョウの事が知りたいのかと言う話になった。路上生活者の生活再建の為に、ダチョウを飼うというのだ。場所も無い、資金もない、協力者もいない。良くこんな不可能なことを考えたと思ったが、テレビで今後良い仕事だと言っていたと言うのが根拠だ。やったこともないことに路上生活の人を巻き込むのは、良くない。まず、自分がやれることをやってみて、上手く行ってから路上生活の人に呼びかけたらいい。こんなことを話したのが、たぶん10年は前になるだろう。

その後、畑をやりたいので、教えてほしいと言う事で再度訪ねて見えた。聞いてみると中井の方の山に畑が借りられたから、そこで農業をやると言うのだ。そんな遠い悪条件の所では、農業は出来ないから無理だと。よくよく、説明したが、始めてしまった。その後しばらくしたら、早川のやはり山の中で、蜜柑畑の跡地を貸してくれるという。そこで今度は養鶏をやりたいので、教えてほしいと言う事だった。見に行ったが、何しろ急坂を歩いてしか入れない所だ。これでは無理だから止めるようにいった。やるなら、もっといい場所を紹介すると話したが、始めてしまった。その頃は城山にアパートを借りて、路上生活の人たちが共同生活をしながら、養鶏と畑をやっていた。到底無理だと話していたので、あまり教わりにはこなかった。どうも、黒磯の方でやっている、牧師さんにやり方を教わったようだ。しかしそのやり方では、経費がかかりすぎて、経営どころか、持ち出しばかりのはずだった。

その後、入れた雛が、コクシジュームにやられて、何とかしてほしいと言う事で、指導することになる。私の所にそれでは、研修に来るようにと言う事になる。何度か訪ねて見えたが、素直に教わろうと言う人がいない。このようにやりなさいと言っても、あれこれ理屈をこねて、面倒なことはやろうとしない。そのうち杉山さんと大喧嘩になる。歩いてしか登れない悪条件だから、結局、笹村のやり方では無理だと言う結論になる。今度は農地を借りて、野菜を本格的に作りたいと言う事になる。中井の畑を返すなら、捜してあげると言う事で、荻窪に素晴しい条件の農地を4反見つけて、NPO法人化して、正規に借りようと言う事になる。農の会で経験があったので、NPO化を行って、私は理事になる。NPOなら内部の風とうしよく成ると考えた。その頃には、城山のアパートから、早川に移っていた。

NPO化して、早川で本格的に展開を始め、10名を超える共同生活になった。実際の生活はある方の土木作業で働くことで、生計を支えた。この頃の3年ほどはある意味順調で、自立できる人は自立して行った。ところが、障害のある人が残るようになった。全員が平等の共同生活だから、収入のある働ける人と、働けない人、がいる訳で、働ける人にしてみると、何で自分が面倒を見なければならないのか、不満が出てきた。徐々に働ける人はいなくなった。働ける人がいないから、どんどん苦しくなった。畑は荒れてしまう。養鶏は出来なくなり止める。早川の宿舎を出ることになる。この間行政の支援を様々な形で、お願いするが、対応はしてもらえない。ある意味障害者施設なのだと思うのだが、形が変則である。住民票すらない人もいる。最近、S地域にやっと次の宿舎が見つかって、引越しをしたと言う連絡があった。荒れているが、畑はまだ、8反ぐらいやっている。この先どうして行けばいいのか、悩む所である。しかし、電話の杉山さんはまったく、明るく楽観的で、キムチの材料を作りたいので、下大井の方にも畑をさらに借りたいので、紹介してもらえないかと、言われていた。

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