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笹村 出-自給農業の記録-

環境原理主義の非科学的思考

   

 

環境原理主義を批判してきた。その理由は科学的な根拠なく、先入観で過去の環境を絶対視して、それを守ることが自然の豊かさであると、決めつけているからだ。変化を頑迷に拒絶しているかのように見える。人間の暮らしと、環境の調和を考えるべきなのではないか。

例えば外来生物は悪者で、在来生物が善とされる思想。新しいものは排除しなければいけないという考えを絶対のものと主張する。何故、外来生物がその地域の生物多様性を損なうのか。このことに議論が不足しているように思える。確かに考えの不足した導入が生物相をゆがめた事実はある。しかし良く調和し新しい自然の豊かさを生み出している場面もある。

日本の農作物は例外を除いてほぼすべてが外来植物である。農作物は日本に導入されて数千年栽培されてきたものもある。野生化した農作物もあるだろう。お茶が外来種なのか。日本にも従来存在した野生種もあるのか。議論がされるところであるが、お茶が日本の植物相を乱していると言うことなく、なじんで存在する。

花木や草花では野生化しているものも沢山ある。帰化植物と呼ばれるものが、海外と交流が増える明治期以降、一気に増大している。当然従来あったものと交雑していることもままある。遣唐使や遣隋使が持ち込んだ有用な植物や動物が居る。お茶や梅など沢山ある。菊や水仙や牡丹。そのほか薬草や高木、様々な園芸品種。

そして農作物。日本人の暮らしを豊かにしてきた。動物では猫はその代表のようなものだ。猫が来て農作物がネズミから守られるようになったはずだ。猫は日本の在来生物であるネズミを食べるから、駆除すべきだなどという人はさすがに居ないだろう。帰化生物が日本人の暮らしと環境をゆたかにしてくれた事例は少なくない。

渡来植物はとても多い。ガマなのども、日本古来のガマはやってきたガマに押しやられている。人間が人為的に持ち込んで、環境に良いと考えて持ち込んだものさえある。そして、それが従来の日本の自然を押しやってしまっている事例はいくらでもある。問題はそれが悪いと決めつけて良いのかである。

黄ショウブなどとても美しい植物である。明治時代に導入された。それまで黄色いショウブはなかったので、非常に珍重された。菖蒲の交配は古典園芸では極限と言えるほど進んだ。キショウブと花菖蒲が荒廃された品種も明治時代に存在する。水辺で咲いていると見事なもので、日本庭園を飾っている場合もままある。そのキショウブが毛嫌いされている。

従来のショウブよりも強健だとなれば、当然その郷雑種は園芸品種として大切にされるだろう。にもかかわらず、現代では他の水生植物を圧倒すると言うことで、要注意外来生物と言うことで駆除されている。しかし、舟原溜め池には以前キショウブがあったのだが、いつの間にか見なくなった。誰かが駆除してくれたのか、あるいは自然消滅したか。

明治時代に日本に来て、100年が経過して、何か問題になるほどキショウブが増えて困っているのだろうか。そもそもキショウブが繁茂出来るような湿原自体の減少の方が問題なのではないか。湿原の動植物は帰化植物があろうとなかろうと多くが絶滅危惧種になっている。

そしてそもそも日本最大の湿原と言える田んぼ環境が、農薬によって生物を育むことが出来なくなっている。問題の本質はむしろここになる。農薬が悪というわけではないが、日本は海外で使ってはいけないという農薬が、使用許可されている農薬の許容範囲が大きすぎる国なのだ。その原因は農産物の見た目重視の消費者の為だ。

農薬と化学肥料が日本の環境に一番影響を与えているのが現実である。このことに触れないようにしながら、外来生物の問題を云々するからおかしいことになる。小田原では地域メダカを守るために、他所から来た遺伝子の異なるメダカを石灰を投入して絶滅させた環境保護活動が、評価された。本当に評価して良いものだろうか。

飯縄高原の大谷地湿地でのキショウブの駆除は10年を超えて継続され、今はほぼキショウブが根絶されたらしい。しかし、湿原の維持はキショウブだけの問題ではない。大谷地湿地の環境保護活動は素晴しいことだと思う。湿原環境の維持の活動を悪いと主張しているわけではない。

水田環境にキショウブがあったとしても問題がない。「湿原環境の維持は人々はしばしば、湿地を不用の地とみなします。つまり、水を抜いたり、埋め立てたり、焼き払ったり、何か別の用途に使ったりすべき場所と考えます。」環境省のホームページ

1900年以来、世界の湿地の64%が消失した。1700年当時と比べると87%が失われたと推定されると書かれている。これが問題なのではないだろうか。日本の自然で考えれば、水田面積の減少が一番の湿地の減少である。淡水面の維持と言うことが何より重要なのだ。全くこのことに目が向かない。

石垣島名蔵にあるラムサール条約に登録されているアンパル湿原は大切に守らなければならないものであるが、それ以上に石垣島の水田の維持が重要なことなのだ。水田の淡水面の面積の大きさが、その地域の環境の豊かさに大きく影響をしている。日本の水田の貯水量は、日本のダム貯水量よりもはるかに大きいものだ。

この淡水面が赤とんぼや蛙を育んできた。田んぼの水路が自然水路だった時代には、ここが日本の水生昆虫の宝庫だった。水路がコンクリートの3面張りになった。その原因は管理する人手がなくなったからだ。里地里山環境は人間の手入れで維持されていた。

この人手がないから、3面張りのコンクリート水路で水田に水を引くしかなくなった。そして水田も人手がないから、農薬化学肥料と言うことになる。水田は産業の一つだからそういうことにならざる得ない。この経済の現実に対して、環境主義からの主張が対立する。

環境省の主張はその点で歯切れが悪いもにならざる得ない。水田を維持することの環境の豊かさとの関連で重要だという主張と、経済の問題で、水田をサトウキビに奨励して変えた愚かな政策との関係を、どう総括すれば良いのだろうか。愚かすぎるサトウキビ転作と自然環境の崩壊との関連をどう総括しているのか。

西表島は世界自然遺産である。確かに豊かな自然が維持されている。ここにも水田がある。西表島でも、以前はさらに水田が広がっていた。しかし現在は放棄された場所もある。その場所が今はどうなっているかと言えば、アダンの群生地になっている所が多い。水が溜まっている場所もあるが、陸地化してアダンの林になっている。

水田を作ると言うことは、アダンを切り開き水路を引き水田を作ったのだろう。この西表の水田がイリオモテヤマネコの餌場になっている。水田の多くは電柵で守られている。イノシシが侵入するからだ。この電柵を乗り越えられる丸太橋を作ったらと思う。イノシシは通れないが、山猫なら通れる一本の丸太橋がいい。

環境を破壊している一番の原因は、人口増加である。人が多すぎるからだ。湿地を埋め立てて、暮らす場所に変えるのは当然のことだろう。熱帯雨林の原生林が燃やされて、耕作地に変わるのも、人間が増えている以上当然のことになる。幸い日本などは人口が減少してきている。

これは少なくとも環境省としては良いことだと主張しなければならない。江戸時代の人口にまで、人口が減少すれば江戸時代のように鎖国しても、有機農業で食糧自給は出来る。人口が多ければ消費が増えて経済がよくなるという考えは、愚かすぎないか。

確かに急激な人口減少が、社会をゆがめるだろう。しかし、緩やかに人口は減少しなければ地球は人類によって破壊され尽くすはずだ。少なくとも、環境を大切だとする人たちならば、人口減少を喜ばしいことだと主張した方が良い。科学的に地球環境を見れば、人間が最悪の生物であることだけは確かだ。

 

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