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笹村 出-自給農業の記録-

熊、人里への出現

      2025/12/04

環境省は11月17日、今年4月~10月末現在のクマによる人身被害件数が176件、被害者数が196人(いずれも速報値)と、記録が残る2006年度以降の同期比で、過去最悪となったと発表した。12月に入っても熊は冬眠せず、里での目撃情報がある。

熊が人の暮らしの場所に出現し、地方の暮らしを脅かしている。日本の田舎暮らしは、大きく変貌を強いられている。熊は人の暮らしに近づきたいわけではない。仕方なく近づいているうちに、里には餌になるものが、さまざまあることに気づいたのだろう。

里の豊富な餌を食べるようになり、熊は冬眠もしないものが現われている。里山の暮らしが失われた結果。熊の領域が町にまで広がってきたのだろう。結論から言えば、守るべき里山地域を決めて、自然と人間との境界線を明確にして行く必要がある。

野生動物はともかく餌探しが日課だから、餌があるところに近づいてくる。最初は熊がゴミをあさると言うことが言われていた。今は残された柿を食べに来ていると言われる。柿だけではない。放棄果樹園は居たる頃に存在する。良い餌場になっているはずだ。

熊は里の餌を食べることが出来るようになり、人間との境界線を越えるようになった。豊富な餌で熊の数がぐんぐん増えてきたのだ。本土のツキノワグマは一時は絶滅が心配されるほどの減少で、環境主義者から、保護活動が主張されていた。

四国のツキノワグマの保護活動は今も続けられている。20党と言われていて絶滅寸前の状態である。100頭に増加することを目的に活動が続けられている。居なくなったとしたら、何が行けないのだろうか。また、増えて人を襲う事態になったならば、何が行けないのだろうか。

熊が生息する里地里山の方が良いのだろうか。人が熊を怖れて暮らすような状況の方が良いのだろうか。数が少なければ、餌が山に十分にあれば、人を間違っても襲わないと考えて良いのだろうか。

自然と人間との関係はどうあるべきなのだろうか。私はオオカミの居ない、熊の居ない。鹿の居ない。イノシシの居ない。里山の方が良いと思う。人間が安心して里地里山に暮らせることが、最優先されるべきだと思う。

環境省によると、「私たちの暮らしは、多様な種が関わりあいながら形成する自然の恵みに支えられています。複雑なバランスで成り立っている自然を守るためには、一つ一つの種を絶滅から守っていくことが大切です。」多様な生物の中には、コロナウイルスだって居るのだが、命に違いはあるのだろうか。

私は命に違いはあると思っている。人間が最優先である。シュバイツァー博士の話を小学校の教科書で読んだ。そのときに、病原菌を殺すことが許されるのか悩んだと言うことが出ていた。その結論は書かれていなかった。私は病原菌を殺すことは、善行だと思う。

そうして人類は生き延びてきたのではないか。人類はそうして野生と戦ってきたのではないか。魚は食べて良いが、野鳥は食べていけない。鯨は食べていけないが、サメは殺すべきだ。この境界はどこにあるのだろう。人間の暮らしによいことであるか、悪いことであるか。そこから考えるべきではないだろうか。

例えば、沖縄ではハブの居ない島、宮古島がある。うらやましいと思う。宮古島は生態系のバランスが、ハブが居ないために問題があるのだろうか。恩恵の方は間違いなくはっきりしている。ハブに噛まれる不安がないのだから、ずいぶんと安心な暮らしである。

宮古島は隆起珊瑚礁の島である。平らで山はない。だからハブが居ない。当然生態系全体が違ってくる。ハブが生息しないような島では人間は暮らせないかと言えば、全くそんなことはない。宮古島は今や世界のリゾート地として注目を集めている。

一方嫌われる生き物も居る。外来生物である。石垣島にはイグアナやクジャクが野生で生息している。愛玩用に飼育したものが野生化した。これは殺して良い生き物とされている。命として何が違うのだろうか。マングースなど、地域の野生動物であるハブを殺すために導入された。その上で、役に立たないので殺されている。

絶滅危惧種を守る活動がある。イリオモテヤマネコを守る。世界遺産の島の、世界でも極めて特異な形で西表島に生息を続けていた哺乳類である。私も是非生き残って貰いたいと思っている。しかし、かつては西表島に暮らす人間と、山猫のどちらが重要かと問題化したこともある。

山猫が居て人間が暮らせないのであれば、当然人間を優先すべきだ。山猫と人間は何千年と共存できた。そして未来も可能である。むしろ西表島の未来は、山猫が居てくれた方が、開けて行くことだろう。と言いながらも、これが虎だったら人が殺される。難しい問題になる。インドではそういう問題になっている。

簡単には結論は出ないが、野生動物の保護や、人間の暮らしの継続の障害になる程度によって判断されなければならないのだろう。西表島の山岳部の開発は止めるべきだ。保護されるべき自然だ。その保護された自然が西表島の観光資源になり、西表島の人々の暮らしを支える可能性が大きい。

石垣島のクジャクはハブを食べている。クジャクが増えた地域ではハブは減少しているのではないかと思う。クジャクはインドでは蛇喰い鶏と言われている。当然他のは虫類も食べている。畑に出てきて作物を荒らしている。のぼたん農園でも見かけるようになった。

クジャクを捕まえる罠を作り。捕まえて食べてしまおうかと思う。果たして許されるのか。狩猟許可がいる。狩猟免許がないものが捕まえて食べれば、犯罪になる。しかし、クジャクは石垣市議会でも駆除を要請する意見書が出されている害鳥である。

のぼたん農園では農作物被害で困っている。誰も助けてはくれない。クジャクを捕まえて食べる他方法がない。しかし、それは犯罪行為なのだ。環境原理主義の建前が、農家の営農を制限している。クジャクが網に引っかかって捕まったとしても、放鳥しろというのが環境原理主義の建前になる。もう行政的には自然保護が成立していない。

人が暮らしている場所に一切熊が食べるようなものがなければ、熊が里に出てくるようなことは起こらない。人の暮らしが変化している。以前果樹畑だったところがそのまま放置されて、栗やら果物やらが収穫されなくなった。これが最大の原因だ。まずこうした放置果樹を探して、すべて切り倒せばだいぶ違うはずだ。

人のほうが熊の生息域に入って、クマに襲われる事故は以前からあった。町に熊が出てきて、人を襲うようなことは熊の習性を、人の暮らし方が熊の暮らしを変えてしまったという事だろう。ぬいぐるみやアニメなどの影響で、クマがかわいい動物ぐらいの認識に変えられたことも影響がある。

猟師が減少した。マタギのような狩猟を生活にしていた人は、今は稀有なことになった。趣味で猟銃を持つという人はいても、狩猟を生業にしている人はめったにいないはずだ。また野生動物を狩猟することへの嫌悪の情もある。かわいい熊をなぜ殺して生計を立てるのだという野生動物保護の流れがある。ムツゴロウさんなどが影響したのだろう。

野生動物と人間の暮らしのかかわりは、大きく変化をした。石垣島でも野鳥やのネズミやイノシシに作物が荒らされる。その被害は小田原もすごかったがそれ以上である。それを防がない限り、自給農業はできない。薬を使ったり、イノシシ猟をしたり、罠をかけたりするよりは、ネットなどで防ぐ方を選んでいる。

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