白隠禅師の気功健康法

   



 「白隠禅師の気功健康法」帯津良一著を読んだ。帯津先生はガン治療の専門家である。ホメステック医療を提唱されている。沖縄には帯津先生が主催する21世紀養生塾がある。そこでは陽名時健康太極拳や先生が考えられた気功法が行われている。

 帯津先生の奥さんは太極拳の指導員である。カヨ子さんは太極拳50年の陽名時健康太極拳師範なので、養生塾に月一回通って太極拳をしていた。今は石垣島で太極拳を始めたこともあり行っていない。その縁で帯津先生の話は時々聞いていた。

 宮古島には太極拳の教室があるのだが、石垣島にはなかった。無いと書いたら、あると言うコメントがあった。陽名時太極拳の教室がないというのが正確なところかと思う。陽名時太極拳では師範でなければ教室は開くことは出来ない。石垣にほかに陽名時太極拳の師範の方がおられるという情報はない。太極拳も色々の流派があるので、違う流派なのかも知れない。

 私は「気」と言うものの存在を否定している。科学的に現在証明されていない物はないという前提で考えることにしている。えせ科学が嫌いだからだ。もちろん将来科学的に証明される可能性はある可能性はあるのかもしれないが、「気」はない物として考えた方が、私の身体には良い。

 人間の身体の中も分からないことの方が多い。気という存在を肯定しても、しないでも、私の身体は変わることは無い。私自身の身体の実感からすべてを始めたいと考えている。人から教えられる事が嫌いな、人から見れば了見の狭い実践主義なのだ。

 身体という物を内観して感じ取り、毎朝の動禅を行っている。その時に気という物をあると考えて行うか、ないとして考えるかは大きな問題になる。私はないとして考えている。体内を流れている物は様々ある。しかし、気を認めてしまうと、それらを超越した物として何もかも気につなげて考えることになる。

 最初に上げた達磨の絵を描いた人が白隠である。白隠については特に評価をしていない。絵がつまらないからである。線が気に入らない。線が思わせぶりなのだ。白隠は沢山の絵を残しているが、この絵はまだ増しな方だ。増しとは言え、達磨大師をこのように見ていると言うことは、本物の禅坊主とは違うだろうと、これまた了見狭く見ている。

 絵は本当のところが出てしまうから素晴らしい。たぶん白隠の絵は白隠のサービス精神なのではないだろうか。頼まれては描いた気がする。その人が臨む物を描いて上げたのだろう。喜んで貰えればそれで良かったのかも知れない。違う意味ではなかなかの人物なのかもしれない。

 気があると考えてそれを重視した健康法をする人に対して、異論があるわけではないが、「気」と言うようなものを考えない健康法を考えた方が、個人的には合理性があると考えているだけだ。白隠の時代は身体の中のことはもっと分からないことばかりだから、気を認めた方が分りやすかったのかも知れない。

 白隠は臨済宗中興の祖である。現在の臨済宗の寺院はすべて白隠に繋がっているとされるから、石垣の桃林寺もその一つなのだろう。江戸時代の最も著名な僧だ。禅を行うと、禅病という病を生じることがある。うつ病か神経衰弱のような物だろう。この禅病の治療法が白隠の気功法である。

 師の山本素峯先生から、厳しく禅は一人で行ってはならないと言われていた。危うく見えていたのだと思う。その禅病を直す方法を白隠は文章で残した。それが、「夜船閑話」である。この文章が気功による健康法のように現在ではあちこちで解釈されている。帯津先生もそのことを書いている。

 軟酥(なんそ)の法と内観の法の2つが書かれている。勝手に内観法と考えて行っていた内観とはまるで違うものではあった。内観という言葉も勝手に編み出したつもりだったのだが、こんな立派な先例があるにもかかわらず、無知が恥ずかしい。私の内観は言葉通りの意識による体内の内視鏡である。

 動禅の中で毎朝行っていることと似ているようでもある。違うようでもある。動禅では8段錦の最後に背伸び立禅を18分行う。爪先立ち立禅は私なりに意味がある。爪先立ちすることは座禅で足を組むことと似ている。わずかでも揺らげば倒れる。安定して立つことに意識を集中して行く。

 最後の6分は意識の内観を行う。頭の上から、徐々に身体の中を感じながら爪先まで下ろして行く。身体の中を感じて、何かつかえるような、ぎこちないところがないかを感じて行く。異常があれば感じることが出来るだろうと考えてのことだ。これが私の行う内視鏡内観である。

 8段錦は呼吸の鍛錬である。背伸び立禅でも呼吸を重視している。逆腹式呼吸を行う。この逆という言葉が気に入らない。呼吸をお腹でするようなつもりだから、逆でも何でもない。呼気も吸気もできるだけゆっくりと長く行う。そうすると安定した爪先立ちが出来る。座禅も同様である。

 白隠の2つの養生方法は多くの整体院や養生所と言うような所では、瞑想法のような形で取り上げられているようだ。イメージ療法と言うことなのだろう。内観では丹田を意識して行うらしい。この丹田というのはどうも理解しにくい。そんな機関は無い。臍下3寸のお腹の中。と言うのならまだ分かる。

 軟酥の法は醍醐のような牛乳から作る美味しい素晴らしい香りの物を頭の上にあるように意識をして、それがとけて身体の中を徐々に降りて行くように想像する。そして足の下に流れ出て行くように、感じる。身体が意識で浄化されるようなことだろうか。

以下現代語訳を載せておく。

 まず、色うつくしく香り高い仙人の神薬を種々煉り混ぜて鴨の卵大にまるめた丸薬が頭の上にのせてあると想像するのである。その軟酥の卵は、香味妙々にして、しばらく頭上にのせてあり、しだいに体温で溶けてやわらかくなり、流れはじめ、タラリタラリと下りはじめると観ずるがよい。 

 その神薬の流滴は頭脳の隅々までしめらし、顬(こめかみ)をうるおし、浸々として、両肩、両腕手先まで流れめぐり、両乳、両胸をしずかにうるおしてながれ、胃、肺、心臓、腸、肝臓、肛門、その他あらゆる内臓諸器官をひたしうるおしてながれ、また脊骨、肋骨、尾骨をも潤し、油が溶けてしみわたるように、全身に溶けこんで、ゆるりゆるりと下へ下へと流れくだるのである。 

 なるほど、白隠は瞑想療法の元祖のような人だ。と言うか近代医学が生まれる前の時代に心の病気を癒やすためには、こういう方法がしかなかったのかもしれない。大いに研究したいところではある。今も湿疹が広がっているので、直せるだろうか。
 

 

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