画筆について

   




 絵を描く画筆は何百本も持っている。いつも様々な筆を使うようにしている。あまり同じ筆で描くと言うことは、意識してしないようにしている。絵を描くときには10本ぐらいの筆は並べておいて使う。絵が同じでありたくないと言うことがある。現状を乗り越えるためには、筆でもいろいろやってみたい。

 絵にとって筆は大きな影響がある。絵にとって筆触は語り口のようなものだ。筆触を作るのは筆次第だ。おもしろい内容の話も語り方で変る。落語など同じ話を語り口で味わうものだ。絵では薔薇の絵や富士山の絵は無数にあるだろうが、描き方、語り口が絵の根本に繋がる要素になる。

 東洋の絵画の多くは丸筆で描かれている。西欧の絵画の多くは刷毛でというか、平筆で描かれている。平筆と丸筆の違いは文化の違いというような重要な意味がある。平筆では字は書けない。書けばくせ字になる。東洋の絵画の目的は字を書くことと、絵を描くこに変わりがないことなのだ。

 いわば西欧の絵画は科学的な学問のような探求のされ方をする。西洋は絵画に於いても科学的真理が追究される。人間の主観性よりも、科学的な客観性が重要なのだ。東洋の絵画は精神的な世界観が重要になる。東洋は人間が在りようが問われる。

 書道は書かれた字から、書いた人の人格を味わう。なるほど弘法大師空海かと字から思想哲学まで考える。だから個性が欠落した、代書屋さんの文字は書ではない。現状の書道は人間修行の方があまり問題にならないようだ。上手に書けば良いらしい。

 絵でも人間が求められるから、刷毛ではなく、丸い筆で描くことが必要だった。もちろん、全体で言えばである。刷毛で書いたから悪いという意味ではない。私の水彩画は丸筆で描く。たぶん水彩画の人は丸筆が多いのではないか。ここに私が水彩画に変り、油彩画を描かなくなった理由があった。

 油彩画の時は平筆だけを使っていた。丸筆は使いにくくてどうしようもなかった。それが、水彩画を描くようになり、いつの間にか変っている。今では平筆は実に使いにくくなっている。最初に丸筆を使ったときには戸惑いがあったのだが、水彩画を描くと平筆では描きにくくて、いつの間にか変った。

 筆の毛の質も、堅い豚毛のものから、柔らかい羊毛やミンクの毛に変った。最近豚毛の油彩画用の丸筆をかなり使う。ラファエロの大きな丸筆が出てきたのだ。何かの折に買って結局使い切れなかったものだろう。東洋の堅い馬毛とも違う描き味がある。

 豚毛の丸筆というのは、どこか盲点を突いたような筆だ。しかも短穂である。案外に仕えるというので、探したら五本ほど出てきたので、使い出した。含みはよくないのだが、描き味は悪くない。筆はなれるまで、つまり小脳化するまでは使えない。それまではだめだと思いながら使う。 

  油彩画の筆は思い通りにかけるように出来ている。ところが、日本の筆は思い通りには行かないように出来ている。筆に託して、偶発性が生まれるように出来ている。使いにくい筆を使うことで、偶然呼び起こされるものがないか探している。いつも自分というものを越えようというのが日本の筆だ。

 油彩画から、水彩画に変ったときに、平筆から丸筆に変ったことにかなり戸惑ったはずだ。今では何がやりにくかったのかは分からないが、丸筆の方が使いずらい気がする。丸筆を自由に使うためには、日常的に文章を書いて慣れる、小脳化する必要がある。

 丸筆の筆触というものに、その後とりつかれてしまった。不忍池のそばにあった宮内不朽堂の、白雲という隈取り筆にはまった。この筆に出会ったことで水彩画の魅力にはまったのだと思う。短穂の隈取りの極太の羊毛筆である。あれから40年経つが、これ以上の筆に出会ったことがない。

 無理をしないでも、ただそのままで気持ちの良い筆触が引き出せた。自分のその時々の気持ちを筆跡が反映してくれるようになったのだ。それから不朽堂の筆ばかり使うようになった。自分の絵を描いているという気持ちになり、油彩画を決定的に止めることになる。

 水彩画だけを描くようになったのは、白雲筆の御陰だった。最後に作っていただいた10本の白雲はまだ使っているが、かなりへたってきている。筆は証文品だからしょうが無いと、宮内さんは最後に言われていた。それでも水彩の人はまだ良い。日本画の人だと一年でダメにすると嘆かれていた。

 その後中国に行き、沢山の筆を購入してきた。その筆を実験的に使ってみる内に、様々な筆があり、筆によって絵が変ると言うことを体験することになった。中国の筆の多様性には驚かされた。あらゆる動物の毛が筆になっていた。その中にはミンクの筆もあった。コリンスキーである。中国では狼毫毛という。

 ヨーロッパの水彩筆はコリンスキーである。やはり水彩画でも平筆があるが、日本では丸筆が中心である。油彩画の塗るという感覚では無く、描くという感覚が水彩画なのだろう。ヨーロッパでも水彩画では人間的な筆跡が残るものが現われる。東洋の影響と言うこともあるかも知れない。

 敦煌の壁画をみると、刷毛で描いていると思われる筆触である。敦煌辺りが、東西の境目で、それより東では丸筆の文化である。それは文字を筆で描くという文化と結びついている。江戸時代の人は鉛筆やボールペンが無いから、文字を書くと言えば、筆である。もちろん刷毛ではなく丸筆である。

 この時代の人の絵を見ると、実に筆が生きている。鳥羽僧正の鳥獣戯画の線描のすごみは傑出している。その後の明治期以降の日本画の人の絵であっても刷毛で描いたたように見えるものが出てくる。日常生活に筆で文字を書くと言うことが、無くなってしまった。

 最近は何かを書くと言えば、パソコンである。もう鉛筆もボールペンも役所の書類の外ない。書く文化というものが失われ、筆が生活から離れる。しかし絵を描く私は特殊で四六時中筆で、絵を描いている。毎日毎日何十年も書いていて、最近やっと筆が描くことが自由になってきた。江戸時代の人が文字を書くというような感覚が分かるようになった。

 そうなると、様々な筆がある事の意味が分かるようになった。穂先が柔らかく長い筆がある。水墨画の人が使う筆らしい。「細嫩光鋒」、「細微光鋒」 と言うような羊毛筆である。細光峰とは、羊毛の中でもヤギの首の下まわりの弾力があり、細い毛 。極めて使いにくい筆であるのだが、これが何とも表現の幅がある筆なのだ。

 柔軟で弾力があり、絵の具の含みがよい。豹狼毫筆、コリンスキーと違う意味でやはり頂点の筆だ。最近細光峰を使って見ている。慣れるには数年はかかるのだろうが、この筆にあまり慣れないという良さがある。何でも行きすぎはよくないのだ。九谷焼の北出先生が曲ろくろというものがあるが、あれでは芸術にはならないと言われていた。

 馴れる慣れるということ。絵を描くということは、初めての挑戦なのだから、慣れていてはだめだ。下手で良いのだ。そう思い、羊毛筆の径が25ミリミリ10センチ以上の穂先の筆で描いてみている。まるで歯が立たないが、それでも、小脳化の訓練だと思い使っている。

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