読書と絵の関係

      2025/04/28

速水御舟23歳の作品

   飛行機に載るとすぐ本を読む。本を読んでいるとすぐ羽田である。本を途中でやめるのが残念なぐらいだ。忽ち時間が過ぎる。普段なかなか本を読む時間がない。絵を描くのと、田んぼをやるのが本を読むより、もっと面白いということなのだろう。

  本が自分を作ってくれたと思う。そう言うとずいぶん立派な自分を作り上げてくれたと、自足しているかのようにとられかねないが、そういう意味では全くない。悪い意味でも自分を作り上げたと残念なところがある。どうにもならない、情けない自分をも含めて、自分を作ってきたと思わざる得ない。

 

  子供の頃は寝ないで本を読んでいて、怒られて布団の中にスタンドを持ち込んでまで読んでいた。読書中毒というものだったのかもしれない。本にある物語に引き込まれてしまい、抜け出られなくなっていたこともある。今であればスマホ依存症に近いものだと思う。

 

 本の魔力に捉えられてしまって、離れがたくなってしまった。度が過ぎてしまい、眼が急激に悪くなり、いつもめまいを起こすようになり、身体もおかしくなった。尋常に暮らせなくなった。記憶が飛んでしまうようなことも起きた。小学生の4年生ぐらいの時だったと思う。

 

 それで聖路加病院に連れて行かれることになったのだが、今で言うところの発達障害というような診断だったのだと思う。自覚は全くなかった。本は禁止された。身体を使って遊べと言うことになり、好き勝手をさせてもらえることになり、絵を描くことや、ベイゴマ作りにはまるようになったのだと思う。

 先日、創作米ゴマ大会というのがあるのを知った。町工場をやられている方が、金属を加工して、様々なこまを作り出していた。ああこれだ私がやっていたのはと納得した。ルールの中で様々な工夫をして最強のものを作る。ただ私がやっていた米ゴマは、回すテクニックがそれに加わっていたのだ。

 

 中学に行ってからは、読書が奨励されたので、また読書中毒になった。図書館の本を端から借りて、すべて読むことに決めたのだ。授業中でも本が読んでいたので、授業を聞いていなかった。原君から吉川英治の宮本武蔵を毎日1冊借りて、授業中に読み切ったことがあったことを覚えている。本を選ぶ必要もなかった。

 

 今の読書速度は普通の倍くらいらしい。青空文庫にはその本を読む時間というものが出ているのだが、いつも3分の1以下の時間で読んでいる。私の速度が早いとは全く思わないので、もしかしたらよほど遅く読む人の時間が表示されているような気がする。

 

 高校の頃には古本屋巡りが趣味のようなものだった。一番本を読んだ時期かもしれない。渋谷の古本屋は毎週必ず、回って歩いた。何でも良いので、安い本をついつい買いあさり、驚くことに中ではただというほんの箱があり驚いたことがあった。10円という本もあったのだ。

 
 高校生の頃が一番のでたらめ読書をしていた。大量の本で身動きが取れないようになった。どこの古書店にも1冊100円コーナーがあり、行けば10冊20冊と選んで買った。渋谷に行っては本を買い込んでくる。あの頃は松陰神社に住んでいた。
 

 図書館も好きな方ではあったが、借りた本を汚さないようにとか思う方が気が重いので、図書館で読ませて貰ったことは多いが、借りたのは世田谷学園の図書館で在学中にすべて読んでしまうとした時ぐらいだ。司書の酒井先生は素晴らしい方で、良い読書指導をしてくれた。

 

 本にはまったのは、兄の影響が強い。兄が極端な読書好きだった。父も母も本が好きだったから、家では読書感想会がよく始まった。あの本はあそこが良いとか、あの本はつまらないとか感想会になる。みんなが本好きだから、本を買うことはいつでも許してくれた。

 兄は国語の成績だけは学校で一番だった。全国模試でもトップの方だった。その点では到底及ばなかった。多分兄もかなりの本好きだったからだろう。会って話すと今でも読んだ本の話にいつの間にかなっている。歴史の本を読んでいるようだ。

 最近の日本人が日本列島に来るまでの遺伝子研究の成果をどう考えているかなど話してみたいものだ。兄は牛の遺伝子エの研究などを大学時代はやっていたはずだ。あの時代の遺伝子研究と今の遺伝子研究では全く異次元になった。

 美術の本で一番影響を受けたのはマチスの日記やゴッホの書簡集だろう。中川一政の書いたものは何度も読んでいるが、そうは参考にならない。小説であって日記ではない。野見山暁治氏が書かれていた晩年の日記は、人間が死んでゆく姿を見せていて感銘を受けた。そうか野見山氏の絵も同じだなと思えた。

 やはり日記文学が好きなのかもしれない。だからこうして日記を書いて居るのだろうか。文学とは到底言えない、やわなものである。それでも、絵とブログが一緒になればとは思っている。絵を描くときは、田んぼをやるように。田んぼをやるときには絵を描くように。そして絵を描くのも田んぼをやるのを俯瞰しているブログの存在。

 1000年後に今の時代に書かれたものが掘り起こされて、文学史的にはブログ時代と名付けられるかもしれない。文学衰退期と呼ばれるのかもしれない。芸術としてすべてのものが商品として、劣化させられている。商品から離れたものがわずかに芸術として意味する。

 王様の肖像画を描くくだらなさと、消費者という王様にこびた絵を描くくだらなさは同じものだ。まあ、あんたがおかしいのだと時代から、言われているのは分かる。時代の中で大様に奉仕していることを攻めて忘れないでいてもらいたい。ベラスケスはそうだ。

 そういえば速水御舟日記というものがある。もう一度じっくり読んでみたくなった。速水御舟は日本画の中ではすごい人だと思っている。若く死ななければ、絵を描いたのかもしれない。日本画という枠がこの人の自由を奪っている気がする。

 これから本当の絵の底に降りてゆくはずだったのに、40歳で死んでしまった。もう一度下手でもいいというような絵が描けるようになったかもしれない。日記の文章からすれば、そのはずだったと思える。その為にはあと50年必要だったはずだ。

 絵を描いて居るというのは頭の中にある本を読んでいるかのようである。T魏のページ次のページと開いてゆくように、絵を描き続けている。話が見えるまで読み切らずにはいられないように、絵の中に生まれた、話を読み切りたい。絵は完結しないわけにはいかない。

 自分が描いているというより、話に従って描いているのかもしれない。絵の底に降りる話は、面白いのだが、なかなか難しい話だ。いつも読み終わっていないのに、羽田についてしまうようなものだ。本にも終わりの特にないものがある。日記というのは大体にそういうものなのだろう。

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