竹富島観光に行ってきた。

   



 竹富島観光に行ってきた。安栄観光のE:竹富島観光コースというものである。6600円した。それと竹富島入島料300円。それなりの価格であったが、それだけの価値は充分にある。何故竹富島を多くの人が訪れるのかと言うことがよく分かった。

 何もない。ただの静かな島。島の人の暮らしが静かに過ぎている。もちろん島は美しい。美しすぎると言えるほどに整えられている。作られた島暮らし感はある。演出された島暮らしと言っても良いのだろう。ゆっくりと時間が刻まれるようにできた島。



 昭和62年。景観保存地区指定のようなことが行われ、赤瓦の家、木造の外観。石垣の義務。こういうことが守られてきた。石垣島の方が琉球家屋数は多いが、混在している。小浜島の方が島の実際の暮らしがある。

 それでも竹富島の演出された島暮らしが作り出す、空白感のようなものはいわば劇場の舞台に紛れ込んだような姿がある。2020年2月2日に出かけた。観光シーズンではないので、空いていた。そう空いていたという感じの島なのだ。



 島を歩いた。ゆっくりと歩いた。くまなく歩いた。一月とは言え、強い光でまぶしかった。白い砂が引き詰められた道にくっきりとした影ができる。影の美しい島だ。この映像的な印象は脳裏に明確に残っている。

 このツアーは石垣港からの舟で始まる。高速船なので、15分もすればついてしまう。竹富島から、石垣の高校に通学するという人がいるそうだ。着いた港のすぐ脇にグラスボートが待っている。乗り換える感じでグラスボートに乗った。



 すると珊瑚の死骸の海が続く。この手が染まるようなエメラルドグリーンの海の底は、白化した珊瑚餓死消え詰められている。この哀れさのようなものをただ黙って眺めた。

 珊瑚はこれほどに死んでしまったのかと強烈なショックを味わった。だから、グラスボートは無残体験である。水温の上昇が原因という。それだけとは思えないが、ともかくほとんどが死滅して、現在わずかに再生が始まっているところだ。
 それも又死滅する可能性が迫っている。海水温が高くなることは今後繰り返されることだ



 生き残った珊瑚のすがたから、海底に広がっていた美しさを想像すると、かつての輝きはどれほどのものだったのかと思う。これではスキューバーダイビングの人も楽しみが半減したのだろう。

 この竹富の海の底にもペットボトルが沈んでいた。島に着いたのっけからの美しさとは裏腹のショックが続いた。むしろわずかに再生してきている珊瑚が生き残れるのかである。海水温は上がっている。又死滅が進む以外にない。


 魚が集まってくる。餌付けをしている場所がある。魚も覚えているのだろう。舟が来ると避けるどころか集まってくる。魚の色とりどりの衣装が、熱帯の海を感じさせる。ピエロの悲しみのように見えてしまった。

 死んでしまった珊瑚の海でも魚は活発なものだが。マンタや、サメや、ウミガメは見ることが出来なかった。マイクロプラステックを飲み込んでいやしないかと心配になってしまった。どうも素直に眺めることの出来ない、自分が情けなかいのだが。


 次は水牛車である。お決まりのコースである。確かに水牛から眺める島も良いものだ。水牛は随分と大きな牛だ。普通の牛よりも巨漢である。この牛を引いている人は、身長が180センチはある女性だ。

 ちょっとモデルのような人なので、びっくりした。青山のブテックにいるような人が、竹富島で水牛車を操っているのだ。なんかガリバー旅行記のような異空間である。かえって竹富島が感じられた。


 水牛車の先頭に乗ってしまった。名前を呼ばれたので、はい、と教室のように返事をして、乗り込んでしまった。最初に呼ばれたので、先頭に座ってしまった。

 水牛の大きな後ろ姿越しに、家並みが過ぎていった。30人乗りぐらいの車を難なく引いて行く。すごい力である。水牛で田んぼを耕していたことを想像した。石垣島では水牛は見たことがない。



 硬い土壌の田んぼで水牛は活躍したはずだ。台湾の人が、持ち込んでくれた。石垣島から始まったのだと思う。導入にはそうとうの苦労が有ったという。台湾の人がもたらしてくれた水牛という恩恵。

 荒起こしや、代掻きを手でやってみると分かる。どれほどの重労働であるか。命を削らなければ、田んぼの作業は出来ない。水牛耕の導入が八重山の農民の寿命まで延ばしたはずだ。心から台湾の人に感謝をしたのは、当然のことだ。


 台湾の人のもう一つの恩恵がパイナップル。石垣島には昭和初期パイナップルで経済が支えられた。パイ缶の工場まであった。完熟パイナップルのおいしさを思うと、内地の人達が大歓迎した意味が分かる。

 戦争でパイナップルは一度途絶え、そして今は特別美味しいパイナップルとして評判である。一度食べたらやみつきになる。夏のパイナップルと冬のパイナップルがある。冬のパイナップルはハウスでやるのかと思ったのだが、これも路地で作っている。


 竹富島にもいくらか家庭菜園程度はある。牛は農家的な規模で港の上の場所で、放牧で飼われている。車エビの養殖が行われている。300名くらいの集落で鶏が一軒だけいた。黒の烏骨鶏である。昔はどの家にも鶏はいたはずだ。

 白人系の外国人が飼っていた。放し飼いである。かえって竹富島の暮らしを感じた。この空気感に憧れて島にくる人がいる。私も石垣の空気に引きつけられてきたのだが。生活をしているわけでは無い。本当の暮らしをしているわけでは無い。


 海の色はいつも美しい。美しいのだが、描くことはまだできていない。この美しさの裏側にあるものも見えるからだ。その見えているやりきれないものも絵だ。意識してそういうものを描きたいというのではないのだが。

 感じているものは絵には出てくる。出てこざる得ない。この美しさとの違和感のようなものが、見ているものとして出てくるのかどうかである。作られた島、竹富島が作られていると感じる。この感じているものはどうしても絵には出てくる。

 しかし、今のところ絵として納得行くところまで来ていない。もう少しのような気はしている。




 - 石垣島