石垣島の家庭の三種の神器

   

 石垣島の家には3つの守り神がある。いわば各家庭の3種の神器である。

 「石敢當」は中国から伝わったものだ。道の突き当たるところに置かれる。魔がこの石に突き当たるらしい。だから、「石敢當」と書いて魔除けにする。「いしがんとう」と読む。

 魔物はしまむに(島言葉)ではマジムンという。石垣島で言い伝えられている魔物の総称で、マジムンに股をくぐられたものは死んでしまうといわれている。

 そこで道のぶつかる所には魔除けのいしがんとうが置かれる。10メートルごとにあるほど沢山有る。曲がり角がそれほど多いと言うことでもある。よほどマジムンは怖いのだろう。

 マジムンは直進してくるが、道がぶつかるところに石敢當があれば、そこにぶつかり砕け散る。人間はひょいと曲がれば魔を逃れる。私の家にも道の突き当たりがあるので、石敢當を設置しないと股をくぐられるだろう。

 自然石が普通である。当然石垣の石でなければ、霊験がない。そこで石好きとしては良い石を長らく探していた。もちろん霊験あらたかに見える石である。昨日たまたま、有る場所でその石を見つけたのだ。見つかるときは不思議で向こうから私ですよと言ってくれる。

 そこでそこにおられた所有者の方に、いしがんとうを作るので、この石をいただけないかとお願いした。「オオゥーそういうことに使うならあげるサー。」と言うことでいただいてきた。重さで25キロぐらいの石だ。御影石だ。

 何故こんな形に割ったのかはわからない。人の手で削られたとしか思えないのだが、石切場にあったので、何かの偶然でこんな形にわれてしまったのだろう。まさにいしがんとうになるべきして生まれた石ではないか。

 今はアクリル絵の具の黒で石に字を書いただけである。石に字を書いたのは初めてだが、石は意外にかきやすい素材だった。石にもよるのかもしれないが、案外絵の具の乗りやすい素材だ。

 そのうち余裕が出来たならば、彫り込もうと思って下書きとして書いた。いつになったらそんな余裕が出来るのか分からないが、突然やりたくて仕方がなくなるに違いない。硬そうな石だから、いろいろ道具も探さないとならないだろう。石鑿も持っていたはずだ。等と考えていた。

 この字がすぐには消えないで、30年有るならそれでいいとも思うようになった。しばらく様子を見たい。


 これはシーサーを仮面状にしたもので、玄関扉に付けた。私が作ったものではない。やはりレリーフではもう一つ物足りない。今、制作途中のシーサーもある。これが焼き上がったならば、屋根の上に上げて3種の神器が完全にそろうことになる。

 シーサーはアッシリアから伝わってきたものだ。アッシリアのライオン像が、石垣ではシーサーになったに違いない。確かに内地の神社の狛犬の影響もあるのだろうが、精神はもう少し晴れ晴れとしたものだ。

 シーサーには狛犬のように、神社の神に仕えているというような従属感がない。シーサー自体が魔を吹き飛ばす自立した守護神である。だから、アッシリアのライオン神である。狛犬と一緒にして欲しくないと思っている。

 先日、川平焼きと言うところで、シーサー作りをさせて貰った。もう乾いているかと思い見に行った。割れずに乾いていた。良かった。焼成中に割れる心配もまだあるが。それはかなり土の性格にもよる。石垣の土はどんなものだろうか。シャモットを混ぜてあると言っていたから大丈夫だとは思うのだが。上手く焼けることをシーサー様に祈っている。

 シーサーは守り神だから、私を守ってくれる力があるのであれば割れないはずだ。なんとも言えないシーサーになっている。何か良い絵を授けてくれる力がありそうだった。

 神様を作ると言うことは、私が作るのではなく、何かの力が作らせるものだ。だから、今回のシーサーは勝手に現われた姿で、私も何故こんなものを作らされたのか今は良く分からない。


 スイジ貝のまじないは古くから東アジアにはあったようだ。縄文文化は貝とのつながりが深い。貝は主食に近い時代もあるからだ。人間が生きると言うことで、最も大切なことは食料だ。食料を祈るのは当たり前のことだろう。

 スイジ貝の形を模した文様は吉野ヶ里遺跡からも出土している。縄文文化の中に入り込んだ貝の姿だ。何故か南のスイジ貝の形が、北の地まで伝わってゆく。文化というものの伝わり方は実に面白い。三線が津軽三味線になったことと似ている。

 勾玉がスイジ貝を模したものだという説もある。いずれにしても食べ物を祭ると言うことは、縄文文化の根底をなしているだろう。そのスイジ貝は沖縄では良くとれる。宝貝も沖縄では豊富だ。

 石垣島は貝の島でもある。最初に石垣に到達した日本人の祖先は貝を求めてやってきた可能性も高い。そして、現代の石垣島でもスイジ貝は火防の神として、玄関先に飾られている。

 この過去から未来に連なっている石垣島の長い歴史文化がスイジ貝に現われている。始めて日本列島に到着した日本人がすでにスイジ貝を持っていたかもしれない。スイジ貝を求めてきたのかもしれない。そんな空想をしている。

 人間が作ったものでない自然物の霊験を感じる人間。アニミズムの神様が現代の暮らしの中でも意味を持つ石垣島。石を神に見立てる。木を神に見立てる。同じ気持ちで、食料である貝を神に見立てる石垣島の暮らし。

 こうした自然物を神にみたてるという古い文化が今に生きているところがすばらしいではないか。こんな島に暮らせると言う幸運を感謝しなければならない。
 皇室の三種の神器が勾玉、鏡、剣と言われている。それに比べて、石垣島の3種の神器はいしがんとう、シーサー、スイジ貝だとしたら、なんといい気分のことか。


 - 石垣島