風景画が宗教画になる場合。

   

田んぼの畦道を描いている。道は意味がありすぎるで、避けてきたのだが。踏み分け道というものは自然と人間の営みの痕跡のような気がする。石垣に来て道に引きつけられることが何度かあった。何でもやってみようという言う気持ちでいるので、描いてみている。あぜ道は作業道である。田んぼの作業には不可欠な道だ。道から詩的なものを除いて、形として描く。道をTaoとは違う意味で描いてみたい。なんとなくそうなってしまうので避けてきたわけだが。自然と関わりながらできた道というようなものとして描いてみたいと思った。空に上ってゆくような道である。水たまりがあるような、濡れた土の色が現れている。道だけ土の色が出ているのは、踏まれるからである。トラックターが通るからだろう。でこぼこではあるが、2本の筋ができている。雨の日の色は赤茶けた石垣の独特の赤黄色。赤色の滝のような絵になった。滝の絵であっても全く問題ない。道であるという意味は小さい。意味は小さいが必要である。たとえば、題名に「野良道」とつければ、まずは道に見えるだろう。そのくらいの範囲での道である。
縦の構図である。Mよりも細い縦構図だ。縦構図の絵はどこか精神世界を暗示させる。床の間の掛け軸の記憶なのだろうか。滝だと感じてしまうのも、国宝の「那智の滝図」が頭にあるからなのだろうか。こういうとき私の絵は盗作なのだろうか。絵はすべて盗作ということともいえる。滝の上の月が絵の意味的なものを表している。私の絵の上部の空あたりで、現実に戻ることがある。似ているものを盗作と言えば、人物画は大体がモナリザの盗作であると言ったっていい。盗作だろうが、模写だろうがそういうことはどうでもいいことだ。描いているときは全く那智の滝図は無かった。家に帰って、並べてみて思い出した。特に上で道が曲がるところである。那智の瀧図はご神体である。信仰としての滝の図なのだ。描いている人にそうした崇高な思いがある。アンドレマルローが日本に来て、この絵を見て、この滝は落ちているのでは無く、登っていると感想を述べた。そのことをいつなのか調べてみると、1958年である。つまり私が9歳の時のことになる。なぜ、そんな子供がと不思議に思う。確かに瀧のことを語ったはずなのだが、今は藤原隆信の「平重盛像」を評価した方が残っていて、那智の瀧図の感想については探したが見つからなかった。もしかしたら、花田清輝がそのことを書いていたのかもしれない。
いずれにしても、アンドレマルローの見方で、那智の瀧図を見ることになった。なるほどすごい絵だと感心した。日本の風景画である。写実が絵になるという意味がある。写実によりご神体を移して、信仰の対象としての表現になる。アンドレマルローから日本の絵画にある精神性を教えられた。その武士道的な世界とマルローは考えたが、それは違っているだろう。それは日本人の聖なる意識。信仰の表現。と考えた方が良い。雪舟の「天橋立図」もそうであるが、写実であり精神世界にいたる。絵が世界観の表現になる。このあり方こそ、日本の絵画なのだと考えている。アメリカのスーパーリアリズムが写実の先に何も無いという、疎外の表現に至る。現代のリアリズム絵画がその先にあるものの幼稚さはこの時代の精神世界の幼児性を表しているのだろう。技術に依存してしまえば、精神世界から離れる。日本人の精神表現は中国の宋や元の影響と言うことがある。ものを観て描き、精神表現を行うというもの。こうした絵画のあり方は、ヨーロッパでは、発達しなかった。デューラーを思い出すが、そこに見える精神性と私が考える日本的精神性とは相当に違う。むしろ、ロシアのイコンの方が近い。
写生の風景によって、精神世界を表現しようとする試みは日本人独特のものであったのでは無いだろうか。中国の山水画は想像画である。ある意味当然のことで、日本人の信仰には自然崇拝のようなものが生きている。そうしたものは西洋絵画には無いわけで、風景画と言えばセザンヌのセントビクトールがそ言う傾向があるともいえるが、本当に数少ない。自分と比較するようなことで無いが、私の場合は田んぼ信仰の表現をしているような気がしている。絵を描くという意味では、あくまで造形なのだと思う。何をよしとするかの判断をしているのは、自分の中の感性であり、思想なのだろう。だから、風景画はたどり着けば宗教画になる。そんなことを考えていたら、絹布に描いてみたらどうかと思いついた。早速、大島紬の布に描いてみた。これが普通の水彩のように描ける。紙と変わらない。それでも紙とは違う調子が出てなかなかいい。石垣に来てから、日々学び直している。前進しているのか、後退しているのかもわからないが、ただ日々やりたいことが出てくる。それに従い描いている。

 - 水彩画