ヤエヤマヒメボタルの神秘な光
石垣にはヤエヤマヒメボタルがいる。4月が一番光り輝く時だそうだ。4月9日見に行くことができた。これはただの観光では無かった。一つの神聖な体験させていただいた。自衛隊の基地がそばにできる場所である。自衛隊基地ができれば、夜間もライトなどを光らせるかもしれない。道路も明るく照明するかもしれない。蛍もいなくなるだろう。パチンコ屋のようにさようならと蛍の光が流れるのだろうか。見るのならば、今のうちかもしれない。インターネットで調べて、石垣島エコツアーというところに電話をした。笹村という名前だと話したら、向こうの方がびっくりして養鶏やっている笹村さんかというのだ。こっちはもっとびっくりして、そそそそうだけど、そのいきさつはよくわからないまま、今晩お願いします、と言うことになった。蛍がすごいという話は聞いていたので、一度は行きたいと前から考えていた。先日小田原から遊びに来てくれた、高橋さん家族は残念ながら、3月だったのですこし早くて、蛍ツアーが中止になり見れなかった。そういえば、高橋さんとの出会いは、夕方坊所田んぼで草取りをしていたら、そこに蛍の観察ということで、結婚前の二人が見えたことだった。その二人と高校生の娘さんとで、石垣でお会いするのだから不思議だ。今回はカヨ子さんのお兄さんが遊びに来てくれたので、一緒に蛍を見に行こうと言うことになった。小田原でも蛍は毎年見に行くので、蛍が珍しいというわけでは無いが石垣の蛍は別格らしいと言う話は、前から聞いていた。
バンナ公園でも蛍ツアーは募集している。こちらは昆虫館の協力があるようだ。13日一日だけの開催なので、もうお兄さんが帰ってしまうので、参加できない。今回は於茂登岳の山麓のほうである。蛍がでるだろうところはまえから想像していた場所だった。7時ではまだ明るい。明るいうちに蛍のでる場所に静かに歩いて行く。一切の明かりは厳禁だそうだ。明かりに敏感な蛍は懐中電灯などの明かりにも反応してしまう。忽ちに光ることを止めてしまうそうだ。それは産卵を邪魔することになる。まだ明るいから出ないものだろうかと、思った瞬間参加者の一人が、木の上に猿のようなものいるというのだ。石垣にまさか猿はいない。フルーツバットだろうと思って、よくよく目をこらすと、たしかにオオコウモリがいた。よく見つけたものだ。その人は集合場所でも何かを見つけて、みんなに教えてくれた。観察においては、見える人には見えて、見えない人には見えないものがままあるのだ。あのオオコウモリがわかる人というのはただ者では無い。言われれば私にも見える。言われても見えない人すらいる。石垣では街にもオオコウモリは飛んでくる。飼っていた人もいるそうだ。頭はネコの頭と同じくらいあった。かわいらしい顔をしていた。
オオコウモリがコウモリがと、上を見ている一瞬、熱帯のジャングルが光り輝く。いつの間にか蛍が点滅を始めていた。まだ空は薄明るい。その中に目をこらすと、たちまちに森中草の上あたりが光に包まれ始める。その幻想的な輝きは息をのむような神秘だ。自分の肉体的存在が闇の中の光に溶け込んでゆく。20人ぐらいのいた全員が息をのみ、身動きもできない。小さな子供もいたはずなのだが、一声も漏らさなかった。何という神秘であろうか。この荘厳な世界を前にした人間というものは、自分の存在を消してしまい、心だけがあたりに漂う。これは体験である。何か特別な時間をもらう。目が見えるうちにこの世界と遭遇できて良かったと感動の中にいた。30分ぐらい蛍は瞬きのような光を放ち、すこしづつ光の数が減っらしてゆく。気づいたときにはそのときはもうあたりは真っ暗になっていた。もう誰が誰だかわからない中で、集団となった人の群れが、無数の蛍の光に包み込まれ、呆然としていた。
石垣の自然のすごさを体験することができた。これは現代人にとっての御嶽だ。心の準備無く踏み込んではならない神聖な世界。自然というものはただならぬものだ。その暗闇の力はすさましい力がある。蛍の光は宇宙へ人間の心をつながらせてくれるものだった。一人で行くことなどよした方がいい。神聖な場所にゆくには特別な心構えが無ければ、入ることはできない。素晴らしいところだから、また今日も行ってみようなどと言うところでも無い。ああいう場所は数年に一回覚悟を持ってお参りするような場所だ。心を洗う場所だ。その思いが深くなければ、蛍に出会えたとしても、それは体験というようなものにはならないはずだ。たまたま、その蛍を見に行く人々の心が重なり合い、一つになり生まれた集団催眠のような神秘体験だった。といっても皆さんくらい中での出会いで、顔さえわからなかったのだが。そうそう、私を知っていたいきさつだが、農家になろうシリーズを石垣でお渡しした人がいた。その人から、その本が養鶏に興味のある人と言うことで回っていたのだ。本を作っていただいて、こういうときありがたいと思う。