家庭イネ作りのまとめ
農の会では25周年記念の冊子がほぼ完成した。表紙の打ち合わせが終われば、印刷に出す段階まで来た。農文協で出させてもらう自分の「家庭イネ作り」の本は本来ことしの春に原稿が出来上がる予定だったものが、延びて来春になりそうである。農の会のイネ作りの方が逆転して先にできたことになった。両方を同時に進めることも出来なかったこともある。ここから自分の方の「家庭イネ作り」の原稿にはいる。3つの方針がある。
〇自給イネ作りが大切なものである主張。
〇有機イネ作りは優秀な栽培法である実践紹介。
〇誰にでも可能な技術としての科学性。
イネ作りを始めたのは、30年前からである。山北の山の斜面を開墾して田んぼを作った。全く経験のないまま自給自足の暮らしへの思いだけで始めた。田んぼを作る原点からやってみたことが、とても良い経験になっている。機械力を使わず、シャベルだけで試行錯誤をした。そして20年経過し、10年前ころから安定した技術になった。その方法は江戸時代の農法に近いものになった。なるほどこれが、3000年の循環農法なのだと納得できるものになった。永続性、再現性のある技術という意味である。それは自然の変化に応じる対応力がある技術である。イネ作りには100枚あれば100の違う栽培がある。土壌や水が違えば、同じことでは通用しない。大切なことは稲の状況を見てそれに応ずる、状況判断である。1年で出来ないことも、5年後にはできるという目標を確立させた、土壌環境の育て方である。ここは再現性のある技術になっている。どこでも誰でも同じようにやれば可能だ。農の会の多くの仲間と100か所の田んぼ失敗を重ねながら耕作した結果、そういう事が確信できた。
稲作を大量生産の工業製品と同じものにしようとしたのが、近代農法なのだろう。そこそこのに出来で良いから、機械化して、安価なコメ作りを目指した。機械力を使う技術に稲作技術は変化した。当然、化学肥料を使う。予防的に農薬も使う。土壌を育むというより、どんな土壌でも可能な農業技術が探求された。しかし、そうした農業は生産農家には向いているとしても、家庭菜園のような「自給のイネ作り技術」には不向きな農法になっていた。例えば、農協で作られる機械植えの苗を購入することが普通になった。この苗で作る以上限界がある。対応力のある苗は出来ない。田んぼで自家採取した種を用い、苗床で作る苗とは、雲泥の差になる。最高の苗は5葉期の苗である。機械植えが難しい。しかし、自給の為のイネ作りであれば、手植えが可能になる。自給のイネ作り技術は、近代農業の技術とは違っていたのだ。しかも自給のイネ作りの方が、多収できる上に、素人にも可能なものだった。このことに気づいて、どうしても本にまとめたくなった。
江戸時代の人はお米が命の根源であり、信仰の思いさえ持っていた。人間が生きる基本が食べ物にあるからに違いない。食足りて礼節を知る。生きる前提が食である。食が工業製品と同列になることで、食の意味が不明瞭になった。このことから、日本人の生きるという事まで不明瞭になったのではないか。日本という国は食糧の自給が40%であっても、輸入すればよいという不安定な国になった。誰もが、コンビニに行けば何でもあると思い暮らしている。自然災害のたびに、その油断が指摘される。生きるという意味の曖昧さに繋がっている。主食のお米を作るということに家庭イネ作りの意味があると考えている。自分で家庭コメ作りをしてみる価値は、自分の生きるという事の再確認になるのではないか。過程コメ作りは生きる確認の為に行うという事を書いておきたい。
だからこそ、コメ作りの技術は簡単で誰にでもできるものでなければならない。コメ作りは日本の水土に適合していて、野菜よりもはるかに簡単なものになる。田んぼという非日常の空間が、壁を感じさせているかもしれない。土を汚いという意識、これを取り除きたい。田んぼの土壌と土が手順さえ間違わなければ、自然という偉大なものが、自分の力を助けてくれる感謝。畑の雑草よりも田んぼの雑草の方が管理さえ間違わなければ、抑制されたものになる。一人の自給に60キロのお米が必要だとすれば、100㎡の田んぼで良い。これほどお米は生産性が高い作物だ。古代文明が今に続いているのは、米作り文化だけである。お米が主食に最も適合していることは間違いがない。気候変動にも最も対応力が高い作物なのだ。しかも、環境を維持し保全してゆく力を兼ね備えている。水が環境に対して緩衝材になる。水のかけ引きさえ間違えなければ、体力はなくともできるのが稲作だ。
こういうことをこれから1か月かけて、まとめてゆきたい。