忖度支配の再発防止の為に

   

経団連の会長が財務省で起きている、公文書の偽造問題で国民として許しがたいことだと批判していた。そして、担当者の厳正な処分と、再発防止策を政府に要望すると述べた。早く幕引きをしろという事である。そうでないと自分たちにも火の粉が広がってくるという意味である。忖度支配は当然だが担当者だけの問題ではない。経団連自体が忖度の黒幕となっている。政府と経団連は持ちつ持たれつで上手くやりましょう。法に触れないようにお互い忖度しましょう。歪んだ選挙資金規制法にのっとってお金の方は何とかしますよ。こんな関係なのだろう。政府と行政の関係としては政府の思惑に沿って上手くやりますので、人事や定年後の件ではご配慮をお願いしますよ。というような形である。このアベ政権のがんじがらめ政治の姿をソフト独裁と私は考えている。こんなことになってしまったのは、日本の歴史的なしがらみというものがある。良く言えば慮ることである。思いやりとか、おもてなしにもなる。

再発防止は簡単である。小選挙区制をやめることで、政権、あるいは与党内の権力構造が時々変わる可能性を高めることである。今まで忖度していた対象が変わるので、一辺倒な寄り掛かりは危ういかもしれないという不安が生ずる。一時民主党政権が出来た時に、結局のところ官僚の非協力があった。どうせそう長く続かない恩を売れば、次の政権になった時に仕返しを受けかねない。民主党政権の出した良い政策も良い形には実施されなかった。マニュフェストにあげられた政策はかなり実施はされた。ところがそれが現実に運用される場面で官僚の非協力という抵抗にあった。補助金という形で国と関係してみると、その運用と裁量は官僚が握っていることがわかる。官僚の中には張り切って今こそ出番だと頑張った人もいたのだろう。たぶん、そういう人は自民党政権になって、ひどい目にあったのだろう。それから官僚は自民党の言いなりなることが、習い性になってしまった。

佐川氏の国会での答弁等、官僚出世コースの模範回答であった訳だ。しかし、この背景にある無限に広がっていると考えた方が良い、忖度行為である。経団連の会長が国民として許せないと口では言う。経団連会長としては、内心この忖度体制だけは守らなければならないと決意しているはずだ。法律云々の問題ではない。すべての分野で良いことでも、悪いことでも、行われている日本人的な行動規範に成っている。天皇制というものを考えると、この問題が良く分かる。天皇家は続くことになっている。天皇という権威には忖度しておいて間違いがないという意識がある。平成天皇は平和主義者であるから、評価はしている。日本文化の象徴でもあるから、この点でも評価をしている。だからといって、天皇の権威というもので政治が動くことは望ましくないと考えている。天皇を慮るという形で何かが行われるというのは良くないことだと考える。

日本人の良き特性を悪用するアベ政権が悪いのだ。日本人の意識の中にはお上は有難き正しいものだという刷り込みがある。上に立つものほど、公平で利己的ではないという日本人の願いのようなものだ。天皇の存在がその象徴であろう。ところが、アベ政権という得体のしれない、なんでも演ずる役者が登場した。この役者を自由に扱い、日本の社会をソフト独裁制にして、忖度支配しようという鵺がいる。アベシンゾウという総理大臣人形は、鵺に踊らされ忖度されるべき対象となっている。安倍人形を利用して利権を計ろうとしている人たちが渦巻いているのだろう。腹の中では自分たちのことだけを考える利益集団である。安倍昭恵夫人は大根役者の為に馬脚を現した。李下に冠を正さずという上に立つものの、演技ぶりを滑ったのだ。

忖度政治を無くすためには、民主主義の徹底である。選挙で間違った時の政権を変えなければならない。間違っても許されてしまえば、ここまではやっても大丈夫だということになる。忖度がさらに広がる。忖度は法には触れない賄賂政治である。本来の子日本人の徳性を、悪用した支配体制がソフト独裁性である。何でも自由ですよ。あからさまな制限は確かにない。こんなブログを書き続けても、警察の取り調べがある訳ではない。しかし、じわっと忖度支配が及ぶ不安。お宅のお孫さんはいじめにあわないですか。などという形でソフトな制限が加わる。なんとなく抑え込まれる日本人的な弱み。だから、将来のある若い人の方がアベ政権を支持するのだろう。国民一人一人が利己的な気持ちで投票をしない。日本のソフト独裁を打ち破る為には自民党には投票しない。これしかない。

 

 

 - Peace Cafe