加計学園は首相案件だった

   

誰もがそう思ってはいたが、ついに証拠が出た。想像通り加計学園は首相案件だったのだ。朝日新聞による連続の功績である。よくぞ調べたというか。誰なのかはわからないが、やむにやまれる思いで通報された情報と考えた方が良いのだろうか。愛媛県の職員の方の書かれた文章は、実にリアルで創作とは到底思えない。少々の誤解はあるかもしれないが、大筋正しいとみていいのだろう。アベ政権ののらりくらりのずる賢さもついに暴かれる時が来た。佐川氏の国会答弁の白々しい嘘答弁と安倍氏の答弁が瓜二つである。ソフト独裁を行ってきたの安倍晋三氏も、今回はさすがに音を上げるだろう。最近の政治の流れでは1カ月もすれば、ほとぼりが冷めると確かに思われた。しかし、次から次への疑念の焔が上がり続けている。さすがに黙っていられないと考える人が次々に現れているのだ。これこそ健全な民主主義の焔だ。民主主義国家日本が維持されるのかどうかの土壇場であろう。ここでアベソフト独裁を突き崩さなければ、日本は理念なき守銭奴国家の泥沼に落ち込んでゆくはずだ。

先日、河野外務大臣がわざわざ、北朝鮮の核開発疑惑を改めて主張した。いま日本の外務大臣が言わなければならないようなことではなかった。河野氏も何か握られたのかと私には思えるほどの変貌である。あるいは自身の首相案件で忖度したのかもしれない。どこか嫌なにおいのする不自然な動きである。日本という国が世界の現実から取り残され始めている。アベ政権のやり方は、トランプアメリカの腰ぎんちゃくになって、アジアを敵に回すという道だ。その目的の背景には日本をまた、明治日本帝国に戻したいという時代錯誤の妄想である。相変らず日本がアジアの一国であるという、普通の事を忘れたいという、成り上がり者的発想である。朝鮮や中国を始めとしたアジア諸国への、思い上がりと根拠のない驕りである。生きる活力を失いかかった状況に日本はいる。カジノ誘致。外国人労働者の導入。単なるあがきの姿にしか見えない。健全な経済を考えるなら、再生可能エネルギー開発だ。中国はこの分野では日本を凌駕し始めた。

この危機に立ち止まり、国家というものがどのようなものであればいいのか。もう一度原点に戻り考えてみる必要がある。経済の為であれば賭博を奨励するような国で良いのか。すでに日本はパチンコ賭博場が蔓延している賭博大国である。賭博を良くないこととした日本人の倫理観は、日本という国の原点であろう。日本は急速に外国人労働者が増加している。経済の為である。経済をよくするためには労働人口の減少を、外国人で補わなければならないと考えているからだ。人の手を借りなくとも日本という国土で自立できる。経済以外の理由で外国人を受け入れる意味はあるのだろうか。このあたりに日本国の方角があるのではないか。トランプは国境に塀を作っても外国人労働者の流入を防ごうとしている。イギリスはEUから離脱しても、海外からの難民の受け入れを制限しようとしている。国という障壁を高くしようとしている。日本はこの世界情勢の中で、外国人労働者を受け入れるべきと進み始めている。国家という枠が無くなってゆくという流れが、一度止められようとしている。果たしてどんな選択を日本はすべきなのだろうか。

加計学園は氷山の一角である。中国が賄賂国家であるとすれば、日本は忖度国家である。中国の賄賂体質をもし本当に習政権が根絶できたとしたら、中国という国家を変えることになるだろう。中国は様々な問題のなか、国家資本主義というような政治体制で世界との競争に勝とうとしている。日本人は忖度と呼ばれるような目に見えない支配体制の中にいる。小さな保身の方が社会全体よりも重要になった社会である。個人主義の蔓延である。官僚は国の為に尽くす有能な人たちのはずであった。たぶん今もそういう人は沢山いるはずである。ところが、自分の出世に目がくらみ、行政の中立性を踏み外す人がいるようだ。そうした人ばかりが優遇されているのだろう。保身の委縮した官僚を、政府に自ら処分する能力すらない。適材適所発言を聞いていると、忖度の資質を見ているのかとあきれ果てる。

 

 

 

 - Peace Cafe