金正恩トランプ会談

   

ついにとんでもない二人が話し合いをすることになった。この二人が話し合いなど出来るのだろうかと思わざる得ない。両者の自己本位の利害が一致したので、罵倒し合っていた二人があ会って話そうという事になった。世界中がまさかと思う展開である。冬季オリンピックと韓国の文大統領のお陰である。この間アベ政権は一貫して微笑み外交に騙されてはならない。文大統領のやり方を痛烈に批判していた。アベ政権と、河野外相の判断ミスである。強硬姿勢だけでは解決には近づかない。アベ政権が強硬策を打ち出す背景には、武力主義がある。話し合いで解決など出来やしない。力で脅かさない限り解決はない。こうした硬直した思想を持っている。憲法で示されている、平和的手段による解決を全く行おうともしないアベ政権である。文大統領を批判したことは、ともかく謝罪してもらいたい。アベ政権的武力主義ではアメリカにすがりつく以外に道がない。アベ氏が国家主義的思想の持ち主であろうとも、アメリカの属国としての立場以外に立ち位置はない。

このへつらう姿の日本政府はあまりにも醜い。武力の劣る弱い国はへつらう以外生き残るすべがないという現実を認めてしまっていいものだろうか。確かに日本を占領して以来、アメリカの世界戦略は一貫して日本を属国扱いであった。但し、アメリカの一部には平和主義的な良心が見えるところもあったので、何とか自由主義圏の世界はアメリカ中心にまとまることができたのだろう。ところが結局のところアメリカは強者の論理を押し付けてきた。異文化を認めようとしない。自分の正義に固執する。アベ政権の姿はまさに、優等生のようにアメリカの言いなりになることで、日本の安全保障を確保するという、朝貢外交である。これとは全く正反対の姿勢が、北朝鮮の姿勢であろう。核弾頭搭載のミサイルをアメリカに打ち込める武力を持ては話し合いが始まるという事になる。しかしその話し合いも、多くは期待できないだろう。アメリカの言いなりにならない限り、存在が許されないのだ。

確かに強い者が勝ち、弱いものが従うという姿が現実世界である。しかし、その現実を乗り越えることが人間の向かうべき方角であろう。その理想を捨ててしまえば、確かに奴隷の安心は得られる。戦後70数年の日本の姿で腹立たしいかったことは、晴れ晴れできない属国的気分である。フランスに行ってみて、アメリカに従属しないという意味を強く感じた。比較的アメリカは寛容であった。しかし、その根底にはトランプ的アメリカの独善が常に働いてきた。最近は在日米軍の事故が頻発している。アベ氏はトランプと盟友と自称しながらも、何一つ希望を聞いてもらえない。事故の報告すら行われない現状に何ら発言もできないでいる。これが奴隷の安心の現実である。守ってやっているのだから黙っておれ。武力には順位が必ず付く。北朝鮮の方がアメリカより強ければ、北朝鮮に世界中が従わなければならないという事になる。

国家はその大小にかかわらず尊重され、それぞれの価値観で生きるこが出来なければならない。日本では中国にある人道問題が良く言われる。確かにひどいことが起きている。しかし、それはあくまで外国のことだ。中国に日本の森友問題の腐敗をあれこれ言われたら、やはり問題がこじれる。何処の国においても確かにひどい弾圧や、人種差別はあってはならない。それはアメリカの銃規制が出来ないという問題も同じである。学校で銃の乱射などあってはならない。それぞれの国が問題を抱えている。それに対して外国が介入することには、厳密なルールが必要である。国連という機関を利用して、各国の非道をただす以外にない。それがいかにも生ぬるいものであるとしても、それ以外の方法よりはましだと思う。当事国間で解決できない国境問題も、第3者機関が仲裁し判定することに従うべきである。己の正当性だけを主張することでは諍いの始まりになる。金トランプ会談がどうなるかはわからないが、話し合い以外に道はない。

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