アルマーニ校長の不可解

   

あまたま、アベマTVを付けたら、アルマーニを標準服に選んだ公立小学校の校長が記者会見を始めた、興味深く長時間見てしまった。これほどずれた人間が校長先生をしていてよいのだろうかと思う。当人におかしいという自覚が全くないというところがさすがである。3つある。まず、アルマーニの制服にするにあたって値段のことは全く考えなかったという。高いものではあるが、上質なものは高いものだと感じただけだという。他人がかかわることで、価格というものを判断の材料に上げないというのは、さすがに教育者ではある。世間からのずれがはなはだしい。一般の庶民は買い物時に一番かんがえるのが価格である。もちろんその品質も問題にするわけだが、価格と天秤にかけるのだ。この制服は8万円だそうだ。私ならどれほど良いものでも買わない。着るものにその金額は払ったこともないし、払う気もない。まあ、だからみすぼらしいのかもしれない私が言うのもおかしいのかもしれないが。この私より浮世離れしていると思えた。

次にこの制服の意義を子供たちに納得させられる自信があるというのだ。子供たちに丁寧に声かけをすれば、アルマーニの制服の意義を伝えられるというのだ。記者会見は1時間ぐらいはあっただろうか。それでも私にはアルマーニの制服の意義がまったく伝わらなかった。馬鹿げたことだとしか思えなかった。とすると、子どもというものを甘く見ている小学校長なのだろう。子供が自分の主張を何でも鵜呑みし、従わせてきた世界に長年いて、人間というものをわからなくなったのだろう。学校というところにはこういう歪んだ人間が時たまいる。いつも自分の言いなりになる人間とばかりかかわっている内に、人間がモノではなく、自立した意志のある存在であるという事を忘れてしまう人間である。たとえ、5歳の子供でも言いなりにしてはダメなのだ。所が日ごろ言いなりにさせてばかりいると、どれほどおかしなことでも説得できると思い込んでしまう。アルマーニ校長は自覚のない独裁者なのだ。

3つ目は何故海外の高級ブランドばかりに声をかけたのかという事だ。日本の制服会社を一段低く見ていると思われる。ブランドに頭が洗脳されているのだろう。有名ブランドならどこでも良かったらしい。エルメスとか、バーバリーとか、良く分からなかったが校長が制服の選定対象として依頼した海外一流ブランド名を3,4名前を挙げていた。ところが、この人はアルマーニの服は一着も持っていないそうだ。持っていないのになぜ、その良さを判断したのだろう。ブランド名が著名であるから、良いものであると決めつけただけだ。恥ずかしい判断力だ。自分が日ごろアルマーニを着ていて、その良さが良く良く分かっているのならともかく、海外ブランドなら良いものに違いないと決めつけるブランド信仰的判断が情けない。又アルマーニがどれほど良いものであるとしても、小学校の制服向きかどうかも不明である。私の小学生の頃は常に着ていたもはドロドロであった。そのまま川に入ったり、薪をとったりしていた。それが自由にできる汚れても構わない服が最善だった。小学生が気取ったアルマーニという方が、普通なのだろうか。

アルマーニ小学校に入学を希望する人で、8万円の制服が暮らしの中で困る人がいれば校長が相談に乗ってくれるそうだ。公立小学校なのだから、希望しようがしまいが、誰でも行く小学校である。何故、高額な制服の購入費をどう相談に乗れるのだろうか。そんな相談したくもない人もいるという事を知らないのだろうか。立て替えてくれるとか、分割払いにしてくれるとか、補助金が出るとか。生活保護家庭の場合この8万円はだれが払うのだろうか。税金という事になるのだろうか。校長の相談というのは実は、説得を頑張るという事に過ぎない。そんな相談は何の意味もない。一遍に買わないでも、半ズボンだけに始まり、順々にそろえることも良いのではと主張していた。まったくあきれてしまう。そんなちぐはぐでも、アルマーニが生かされるのだろうか。こんな小学校だけには行きたくないものだ。向こうも私なぞに入ってほしくはないのだろう。公立小学校が良いのは様々な人間いるからである。子供は多様な価値観の中で育っことができる点だ。私は制服など大嫌いだ。アルマーニ校長のゆがんだ思想の中で育つ子供は不幸だとおもう。

 - 身辺雑記