慰安婦像バス
アメリカでは慰安婦像を人身売買の象徴の像として設置した市が登場した。2つ目だそうだ。韓国では少女慰安婦像像バスが走った。次には強制徴用工の像を始める計画という事らしい。日本人が韓国を嫌いになるのはまずい。お互いがどう見えるかを考えないと、互いの不幸につながる。韓国人が何故慰安婦像を設置するのかを考える必要がある。それは靖国神社にどうしても参拝したい政治家がいることを考えてみると日本人にはわかりやすいのではなかろうか。靖国神社は戦争で死んだ軍人を神としてまつる事を中心に据えた、日本では他に例のない特殊な神社である。関東大震災では朝鮮人の虐殺が数千人に対して行われた。戦前の日本の社会には強い朝鮮人差別が存在したのだ。朝鮮を植民地として支配し、隷属させた。そういう歴史があるのだ。靖国神社に日本の権力者が参拝するという事は、日本が朝鮮に対しておこなった反省すべき歴史を肯定している、と韓国では見えることになる。朝鮮人の虐殺を反省をしない日本に対して、反省をしてもらわなければ未来志向にならないというのが、韓国人の心持ちであろう。
日本は過去の問題に対して正面から誠実に向かい合い、口先だけではない反省を示す必要がある。日本大使が一時帰国するような、感情的に反応することはで問題を悪化させるばかりである。こうした歴史的な汚点に対して、弁解したり、忘れようとしたり、ごまかしたりすることは日本という国と日本人を卑しめることに拍車をかけることになる。日本は韓国に対して、総理大臣が謝罪した。このことで収まらないとしても、それは過去の植民地であった歴史を踏まえれば、当然の行うべきことだ。アベ政権はむしろ、反韓感情を操作しようとしている節がある。大使館や領事館の前に設置することは、国際慣例からして日本の外交権を侵害している。だから解決しようとして両国で共同声明を出した。それでも、韓国国民の気持ちが収まらないことは想像されたことである。已む得ないことだ。しかし日本政府は国家として一定の譲歩をして、国内の反発は日本にもあることを踏まえたうえで、行った外交である。その後の態度も一貫しなければならない。
この像の存在が海外の日本の子供たちの差別にまでつながるなどという意見もあるが、それほど世界の世論をいい加減なものと見る必要はない。むしろ靖国神社に総理大臣が参拝する姿の方が、日本の軍国主義の復活を想像させ、海外の日本人に対する評価を下げるだろう。日本が誠実であれば、日本人も尊敬されるのだ。日本が立派であるとは、過去の非を認め、今を誠実に生きることだ。韓国の実情をよく考えれば、慰安婦像に対して執着する理由が見えてくる。日本は韓国を植民地にしていたにもかかわらず、日本には歴史を認めない人たちさえいる。日本のネトウヨや日本会議の存在が従軍慰安婦像を解決できない要因の一つだろう。靖国神社に政治家や政府関係者に参拝したいという考えがある以上、日韓関係の未来志向の解決はできない。アベ政権が中国を仮想敵国とし、国内に対立心を高めようと焦っている。その原因は世界の経済競争に後れを取り始めたからだろう。日本が自信を失い始め、韓国同様に仮想敵国を必要とするような状態が生まれているのではないか。その背景のものとに、静かに治めるべき靖国神社問題を、あえて国際紛争の火種として持ち出す。
世界経済は確かに競争である。激しい能力主義だ。そして、日本民族は優秀で公平に競争すれば競争に負けないというような思いを植えこまれてきた。白人には負けるかもしれないが、それ以外には勝てるのだ。というような屈折した気持ちが明治帝国によって刷り込まれてきた。戦後の高度成長は軍事力に負担の少ない状態で、経済競争に専念できたという事がある。侵略戦争を行ってしまったことへの懺悔、そして敗戦したことへの反省。こうしたことからひたすら平和産業に力を入れ、日本が世界へ経済で食い込める道を模索した。農村から大量の優秀な人材が、比較的安価に供給された。それが日本を高度成長に導いた。しかし、それは経済後進国何処もが、経過する道でもあった。韓国、中国と、国力を高め、国状に応じた優秀な産業を育て始めた。そして日本を凌駕した分野も当たり前になった。この現実を受け入れにくい日本人がいるのだ。