何がプレミヤムフライデーだ

   

何がプレミヤムフライデーだ。おふざけのアベ政権だ、いい加減にしろと言いたい。待機児童0の公約はどうしたんだ。戦後小学校には子供が溢れていた。何しろ60人学級である。一時期は70人学級を経験した。戦後のベビーブーム時代それぐらい子供が溢れても、義務教育は何とか行われた。不十分であったに違いない。混乱した教育であり、事故も多発したのだろうが、小学校に行きたくても行けない子供は、なんとか居なかった。それが、女性活躍などときれいごとを並べていながら、あの頃よりもひどい世の中になっている。子供を預ける託児所や保育園がない。公約した政府が理由なく断念を表明した。政府の怠慢以外の何物でもない。総理大臣が国会で来年の3月までには待機児童0にする。と断言したのだ。それを希望として子供を産もうと決意した人たちは、アベ政権を訴える権利がある。サギ政府として告発すべきだ。

こんな状況の中でいかにも場違いな余裕層の為のプレミアムフライデーだ。くだらないアイデアばかり連発する。土曜だって休めない人が山ほどいるではないか。現に東京では子供が居て勤めに出れない人が3人に1人なのだ。打つべき手立てを打てない政府の無能にはあきれる。待機児童は沖縄は東京に次いで2番と言っていた。沖縄なら場所には困らないだろう。沖縄に寄り添うのではなかったのか。大企業と官庁なら金曜日半ドンかもしれない。中小企業や自営業や農業者はそれどころではない。これがまさに格差社会の実態という事なのだろう。余裕のある階層と、どれほど働いても貧困の中に生きなければならない階層の分断、切り捨て。それなら努力してよい会社に勤めろという内閣の声が聞こえてきそうだ。ひたすら努力不足だと競争を激化させる。能力による分断が起きている。考えたくないが、そんな追い込まれた社会の崩壊は近い。

予測した通りの韓国は破たんした。一歩先を行く韓国は競争に目を奪われ、人間らしい豊かさを失い、社会はやせ細ってゆくことになっていそうだ。そして、誰かを責め続けることで苦境を耐えようとする告発社会になる。アベ政権が本当に余裕のあるプレミアム社会を望むなら、まず待機児童0を本気に取り組むことではないか。。子供を大切にできないような社会ではろくなことがない。江戸時代の社会は余裕がまだまだあったのだ。ぎりぎりの暮らしではあっても、子供を宝とする豊かな暮らしであった。それが徐々に追い込まれたのは、明治の富国強兵時代になってからのことだ。農村は疲弊し、子供は産めよ増やせよと軍備の材料と見られた。その疲弊がまた起こっている。今度の疲弊は資本主義の競争の激化から来ている。格差が広がりつつある社会のなかで下層に位置し、差別される人が自分たちを追い詰めている政権を支持するしかないと思い込まされている構図。アメリカでのトランプ大統領。ヨーロッパでの極右勢力の台頭。ヒットラーの頂上を彷彿とさせるものがある。

金曜日の午後早引けにするようなことは、早引けできない人に対しての差別を作るだけだ。企業の人では女性が優秀だなと思う事が多いい。仕事をお願いする場合、女性に対応してもらった方が確かであるという経験を何度かした。企業では女性の失敗が認められないのだなと思ったこともあった。そうやって必死に真剣に働いている女性が、子供を産んで会社を辞めなければならないというのは、どれほど無念なことであろうか。それなら子供など生まない、産めないという人も多いいに違いない。それが少子化の一つの原因に違いない。アベ政権は少子化対策、女性活躍社会と、口先では何度も言いながら、結局のところ待機児童の解決ができない。これは無能なのか、嘘をついているのか。どちらかとしか考えられない。こんな時に何を浮かれてプレミヤムフライデーだ。それでも、教育勅語を暗唱する、アベ記念保育園だけは作らないでくれ。

 

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