世界は転換点にある
昨年一年間、世界が転換点にあることを書いた。グローバル企業と国家の関係が限界に達した転換なのだと思う。政治的には民主主義の信頼が崩れ始めている。イギリスのEU離脱。アメリカのトランプ政権の登場。日本ではアベ政権への支持。全て公正な選挙結果である。世界は新しい形の第3次世界大戦の最中と考えるべきなのだろう。今起きている戦争は競争主義の限界、能力主義の破綻、国家主義的資本主義の登場。経済競争はトランプの主張通り、強者の有利の正義である。能力主義は差別主義である。競争の勝ち組の国家と、競争から脱落して希望を失った国との、新しい戦争が起きている。戦争の形は難民であり、テロであり、極右勢力の登場である。今後日本はアメリカから見放され、焦りを深めることだろう。自立心のない政治の結果である。経済的には競争に敗北し成長は望めない。企業の過重労働はさらに深刻化する。軍事的には中国との軍事力の差は顕著になり、社会的不安が高まることになる。
国民は選挙によって、独裁的アベ政権への支持を強めてゆく。活路も見いだせない画ゆえに、強いものに縋りつく事になる。アベ政権への依存は結論の出せない政治への反動でもある。戦後の日本社会はひたすら働くことで、経済の豊かさを得た。しかし、その限界が来たようだ。原発事故が起きても原子力を離れなれない政策と、意欲の喪失。沖縄の基地問題では、地域の意思を無視して国防の犠牲を一地域に強いる姿。八重山諸島に自衛隊軍事基地を次々に作る意味は、中国に対しての対抗手段のつもりであろう。しかし、中国との経済及び軍事的な差は広がるばかりである。八重山に自衛隊基地を作り、米軍に共同使用という形で基地を提供し、軍事同盟を強化する方針である。宮古ではボウリング調査が始まり、石垣市の市長中山氏は自衛隊基地の受け入れを発表した。八重山の前線基地が最も危険な場所になるに違いない。これが沖縄防人論の実態である。
日本の安全保障は平和主義への転換以外にない。日本が瑞穂の国の文化国家になるという事である。文化とは何かを再考することで、豊かに暮らすという事の意味を考え直すことだ。競争から助け合う共同へ。物の豊かさから、人間の心の豊かさへの転換である。まずは食糧の自給。日本文化が江戸時代に作りだした、循環型社会の価値をとらえ直することだ。と言っても日本全体が方向を変えることは、しばらくは期待できない。気付いた人だけで構わない、自給的な生活を始めてみることだ。そしてその人たちが緩やかな連帯を徐々に形成してゆく。社会全体は変わらないとしても、3%の同志が繋がることが出来れば、一定の活動の安定性を構築することができるはずだ。そのつながり方をITを利用して、時空を超えることだ。日本の一部であっても、経済崩壊国の中に新しい暮らしがうまれれば、一つの可能性である。それが第3次大戦の終結の希望ではないだろうか。
江戸時代鎖国という形で、日本は文化国家としての存在を深めた。文化という形であれば、中国とも、朝鮮とも、東アジア共通に連帯を探ることができる。経済は競争かもしれないが、文化は互いを評価し、共存するすることでより高みを目指すことができる。日本の平和主義がもう一度新しい形で、世界に呼び掛けることが可能となる。琉球王朝はそういう文化的な平和外交を行った。日本の国内に、競争から離れ、精神的豊かさを求めて生きる人たちが登場することだ。そして、新しい形の連帯を作り出すことではないだろうか。幸いにも日本は人口が減り始めている。自給できる地域が放棄されている。日本の水土は自給的な暮らしが可能である。そこからやり直してみる以外に、第3次世界大戦を終わりにすることは出来ないであろう。世の中はさらに悪くなるに違いない。誰かに期待するのでなく、自分がやる。一人が始めることで、何かに繋がる。一人が諦めることですべてが終わる。