土人発言と報道
土人発言事件に対して、報道へ圧力がかかっている。基本一度しかブログには書かないことにしているが、悔しくて連続で書く。土人発言の重大さと、それに対する社会の鈍さがあまりにひどいので、もう一度書く。私が書いたところでどうにもならないとは思うが、この事件を断殺しようとしている報道に対して、抑えきれない怒りが湧いて来る。特に松井知事の土人発言機動隊員をねぎらう言葉は、まさにヘイトスピーチやネトウヨの発言そのものである。後からあれは機動隊員全体に、ご苦労さんといったのであるなどとごまかしをしようとしているが。文脈を見れば明らかに暴言機動隊員に対して、ねぎらっている。言いにくい本音を良く叫んでくれたというような思いが、思わず出てしまったと読める。維新党の体質そのものである。なぜ、これほどひどい知事の発言を報道は問題にしないのだ。沖縄差別が根強く大阪知事に残っている。
東村のヘリパッドの是非もあるがひとまずそれは置いておく。機動隊員の顔を消した報道に変わったが、あれは何故なのだ。機動隊員の立場である。公権力が市民の反対を押し切って強制執行をする際、機動隊員が市民の反対を阻止するという役割がある。それは権力として当然のことだ。しかし、機動隊員は強制執行が実行されることをサポートするのであって、市民と戦う訳ではない。市民を憎んでの行動ではない。沖縄の基地の警備にあたる沖縄で雇用された警備員は、むしろ心情的には反対派市民と通ずる気持ちの人も居る。当然暴言を吐く気にはなれない。ところが、暴言機動隊員は明らかに、反対派市民と敵対意識を持っている。昔のデモではそういう機動隊員とよく遭遇した。互いを憎しみ合うような関係である。しかし、今の警察ではデモ行為に対して、敵対はしていない。デモが暴徒化しないように制御しようとしている。また、交通障害にならないように動かそうとする。
警察は柔らかい対応になったからといって、本質は何も変わらない権力の番犬だということが、今回の事件には見える。そして、一番怖いのは、この事件を断殺しようとしている、テレビの悪質な鈍さである。報道が黙っていることは肯定していることになる。その背景には、日本人全体に広がる汚い鈍さがある。柔らかな独裁化に生きる、日本国民の愚民政策が進んでいる。嫌なものから目を背け、気づかないふりをして暮らす姿勢だ。沖縄に防人に成れなどという、馬鹿な発言が通用する社会に日本はなってしまった。悪いのは中国であって日本政府ではない。とすべてを他人のせいにして関係ないを決め込むずる賢さ。自分が被害者でなければ、知らん顔でいいという事だ。都合の悪いことは遠くのことでかまわない。今回の事件は私を含めた本土の日本人が沖縄に人たちに、差別発言をしたという認識に立つ必要がある。この事件だけは他人事で済ましてはならない。
愚かな機動隊員は刑事処罰である。そして、大阪知事は退任である。理由は自分の発言の意味を理解出来ない愚かさである。こんな愚かな知事であれば、大阪の行政はでたらめになるに違いない。愚かな振りをしているとすれば、その悪質さが退任の理由だ。まずは間違いを認め、謝罪することだ。今からでも遅くない沖縄に対して、謝罪することだ。あえて書くが、市民が権力に対して暴言を吐いていいのかと言えば、吐いていいのだ。権力者は実力をもって自分の意思を通そうとしている。しかし、市民はそれを受け入れざる得ない立場なのだ。自分の意思に反するものを押し付けられ陽としているものが、暴言を吐くのは当然のことである。権力者が暴言を吐くのとは全く意味が違うのだ。これを混同するのは知性のない人間である。市民もひどい言葉を発しているなどという、警官養護の馬鹿な発言があるのであえて書く。権力とその権力を強制されるものの立場の違いを、きちっと認識しなければならない。