舛添批判で抑えるべき点
舛添批判が公私混同の個人批判に陥り、政治の本質の問題から目がそらされないように願いたい。前知事の猪瀬献金も背後に想像された、政治の暗黒は未解明のまま終わった。確か舛添批判を始めたのは文芸春秋であった。この雑誌の調査報道はすごい。新聞やテレビにとってかわったようである。舛添氏は湯河原の別荘に公用車で毎週出かけていた。それほどのことには思え無かった。しかし、年5回の高額な海外出張が何故都知事に必要なのかはよくわからなかった。随行員が20名というから、完全な外交交渉団のような形である。東京都知事という立場で、どんな外交を展開し、どんな成果を上げたのかが気になった。友好親善程度のことなのか、何か別のことで知事が出かけて調査しなければならない課題があったのだろうか。それならその成果は都議会で審議されているのだろうか。都議会というものが何か有効に機能しているものなのかどうか。都議会の機能をこの機会に検討すべきなのだろう。
区議会との関係もあって、膨大な予算にもかかわらず形式的なものになっている可能性が高い。湯河原公用車の弁明会見の偉そうな態度が、面白映像になり大失敗をしでかした。文春の思惑どおりにことが炎上して進んだのだろう。第2弾、第3弾と雑誌としては準備した球が放たれた。舛添氏一人の問題ではなくなり、政治資金の私的流用が浮き上がってきた。政治家は政治資金をきちっと使っていないのではないかという、繰り返されるが解決しようとしない課題である。白紙の領収書で何でも済ますようだ。政治家に白紙の領収書にしといてねと言われれば、商売だから渡す人が多いいだろう。すでに政治家に自浄能力が失われているから、法律の改正が必要な状況だろう。政治家の飲食代は政治資金と言い張れる。正月の集まりに仲間と飲んでも、一応会議をしておけば問題ない。これは政治家だけでなく、役所でも、自治会組織でも似たようなご都合主義が行われている。そう硬いことばかり言っていると世の中暮らしにくくなるというような、空気を読めというような情けない世間である。
誰もがやっているのだから、騒ぎになった時をやり過ごせばいいという範囲になる。これが、日本の村社会の馴れ合い政治である。正月の豪勢な料理位おごらなければ、政治家はやって行けないという事があるのかもしれない。政治にはお金がかかるという事の背景になる。こういう話は誰もが突っ込めるので盛り上がる。当選しなければ始まらないという、常に選挙を背負っている。これが、東京オリンピックの2億2千万円のコンサルティング代に繋がっている。こっちは電通とからんだ完全な犯罪である。東京都がオリンピックを誘致するのに、なぜ、意味不明のコンサル会社に何億円も払わなければならないのか。一体こんな費用が審議され、了解されて払われたはずもない。わずかな飲食代の不正が、巨額な税金のでたらめな使い方に繋がる。賄賂と考える以外にない費用だ。2億円にふさわしい、コンサルから出されたデーターなり、書類などどこにもなかっただろう。
東京都前知事は5000万円を貰って黙らされていた。当然こういう人たちのやっていたオリンピック誘致である。怪しいお金が飛び交ったに違いない。電通と政治の関係を洗い出すべきだ。計画自体がどんぶり勘定で、誘致が決まってから予算が倍増した。そんなことは分かっていたと森元首相は平気で述べている。恥ずかしい国になってしまった。大企業が次々に不正を働き、富裕層は税金逃れにタックスヘブンだ。理想を持てない人間の、金銭だけに動かされている哀れな姿である。特に政治家にそういう人間が多いい。それは政治家には権力があり、権力志向の人間が政治家になるからだろう。政治家と言えば一般に偉そうなやつのことだ。権力欲の強い人間は拝金主義に陥りやすいものだ。自分を取り巻く人間を動かすためには、お金が一番だという事になるからだ。個人のお金の汚さが、税金の使い方がでたらめになるという事に繋がる。