白馬の5月
白馬に絵を描きに行った。アルプスと残雪と田んぼの景色を見たかった。長野の稲作は収量が良く、神奈川県などより大分多いい。米作り日本一が何人も出ている。その理由は、昼夜の寒暖差と水の豊かさだといわれるが、私は長野県人という山に暮らしてきた人の熱心さにあると考えている。標高1000メートルもある場所に田んぼがいくらでもある。八ヶ岳山麓。開田高原。そして、白馬周辺でもかなり高いところに田んぼがある。高いだけでなく、天空の田んぼと言えるように断崖のわずかな平地の田んぼがある。周囲に家もなく。何もそこまでしなくてもというような、熱心な耕作がある。私たちのやっている欠ノ上田んぼが、谷戸田で畔がすぐ崩れて困るなど言えば、長野の田んぼ農家に笑われてしまう事だろう。急峻な崖にわずかな平地を求め、谷底まで転々と田んぼがある。道の曲がり角にできた、わずかな隙間に田んぼが作られている。庭の田んぼなどいくらでである。そしてただあるだけでなく、とても熱心に田んぼが耕作されている。
車の中から描いているところ。
今回その耕作方法を見たいと思っていた。代掻きはトラックターで2回から3回はやるのではないか。水漏れが無いようによくよく土が練られている。畔も幅が特に広い訳ではないが、きちっと塗られている。信濃川沿いの平地の田んぼや、犀川沿いの田んぼは区画整理がされている。それでも1枚が1反か2反ぐらいのものが多いい。山の方の棚田はもちろん地形に従って作られていて石垣より土を盛ったところが多いい。管理に根気がいることだと思う。当然ながら畔草は良く刈り込まれていた。田んぼは上から植えてゆくだけでなく。様々なところから始まっていた。たぶん連休中に植えられたと思われるところから、まだ代掻きが始まっていないところもあった。その為に、田んぼの区画が様々な色である。田植えが終わり、水が澄んでいるところもあれば、代掻きで土色の水が覆っているところもある。今、水が入り始めた田んぼなど、徐々に黒くなってゆく。何処からトラックターが下りたのかと思われるほど、急な導入路が見るからに怖い。
絵を描いたのは、やまなみという山村留学のセンターにある棚田である。山村留学というものが1968年に始まったところだという。一番上に水のたまる貯水池があり、下に下にと水が回るようになっている。八坂村という地域である。立派な家が田んぼの一角にある。豪雪に絶えるようにがっしりとして、数十軒の家がある。まさに中山間地の農業と、山村留学というものが結びついた場所なのだろう。こうした日本全国にある、近代以前の農業そのままの場所が、果たして、国際競争力のある農業になるだろうか。なる訳がない。そのことは誰にでもわかっている。それを農業という枠でまぜこぜにして、判断をしないまま放棄してしまう事は、瑞穂の国として許されないことだ。日本人はこうした自給自足の暮らしを通して出来てきたという事を自覚すべきだ。だから、農業として成立しなくなっても、放棄しない農家が日本に何十万人といる。少なくとも、この場所を見て国民全体が判断して、要らないというのであれば、放棄するのも仕方がない。
鷹狩山山頂の展望台(1116メートル)から後立山連峰を見る。北アルプスを眺めるなら一番の場所である。乗鞍岳から北岳まで見える場所だ。それも5月の晴れた日がいい。まさに12日13日はそういう日であった。この鷹狩山というところが不思議な場所で、山頂に展望塔がある。展望塔があるところは珍しくないが、この展望塔は、8階建てのビルほどの高さがある。その最上階にテラスのようなものがあり、望遠鏡まで設置されている。途中階にはガラス張りの部屋もあり、雨の日でも絵が描ける。と言っても雨の日にアルプスは見えないか。夕景や朝焼けを描くことができる。と言っても私は絵を描く気にはならなかった。美しいとは思ったが、絵として取り付くところがなかった。山々は神々しい力を発していて、その精気に当たり頭がすっきりした。日本の自然はすごい。