原子力推進のアベ政治
アベ氏はワシントンで原子力推進を宣言した。何という木偶人形か。よくもこんなことを言わされて言いなりになっているものだ。何のために、誰のために、原子力推進をしたいというのだ。原子力企業からの圧力か。原爆保有を担保しているつもりか。政府の主張する原子力を安い発電方法だとは、今や誰も信じていない。もし安いというなら、国民に分かるようにその算出根拠を示す必要がある。今までのコスト計算には100億円かかると言われる廃炉の費用は入っていない。まして放射性廃棄物は行き場さえないのだ。何とか行き場が決まったとしても莫大な費用が必要になる。これを入れないで安いと決めるのは明らかに間違った誘導である。原子力推進は間違った政策だったのだ。間違いを認め、引き返す勇気が政治には必要なのだ。アベ人形は既得権益層と終わりかかった日本の保守層の、利益がらみの野合から産まれたものだ。
その結果、日本では自然エネルギーの推進において世界から、後れを取り置いてきぼりになりそうである。ここが最大の問題である。もし日本の政治家が日本の未来を展望できる人間であるなら、あの福島原発事故を反省し、またこの機会をてこにして、世界の自然エネルギー大国に生まれ変わるチャンスとすべきだった。熊本では大震災が今なお続いている。東日本大震災後、まだ揺れが収まったとは言えない間に、次の大地震が予想される。日本は実に危険な地層の上にできた、列島なのだ。いつ火山が爆発するかわからない活火山を抱えた島なのだ。地殻変動は活発化の時期に入ったようだ。災害列島であることを受け止める以外に日本で暮らしてゆく道はないのだ。
この悪条件の中でも日本人が日本人としてこの島で育まれた。それほどに豊かで魅力にあふれた島だったからだろう。この自然条件を受け入れるとすれば、原子力は止めざる得ない。この条件を受け入れてこの列島に存在する自然エネルギーに目を向ければ、必ず、次の展開で道が開けるはずだ。ところが新しいことに挑戦する活力を日本人は失いかかっている。これは残念なことではあるが、たくさんのものをもってしまった人間は、すべてを失うかもしれない未知の挑戦が出来なくなるのだろう。過去の成功にしがみ付き、原子力発電という、一応は稼働していた手段を捨てきれないでいる。日本は自然エネルギーを開発することで、エネルギー輸出国になることすらできる技術力のある国だ。大震災をきっかけにしても転換できなかったところに、日本の限界を見る。太陽光パネルの生産に於いて日本製品が国際競争力があれば、エネルギー輸出国になれる。本来であれば政府が、そうした次のエネルギーに向けて、開発援助を行うところである。
ところが安倍政権は過去の原子力にこだわり、しがみ付くことしかできないでいる。この姿を見ていると、日本の終焉を見るようで悲しくなる。日本はエネルギー自給国家を目指すべきだ。国際競争力よりも、日本に適合した日本にあるものを生かす技術の開発である。江戸時代達成した自給の循環技術を思い起こすべきだ。現代の科学的成果をもって、自給技術を深めて行けば、国際競争ではない安定社会の価値観が見いだされるはずだ。エネルギーを大量消費するのではなく、日本にあるエネルギーをどのように循環させるかに、発想を転換させなければならない。