篠窪の桜
篠窪に絵を描きにゆく。このところ行ける日にはゆく。春らしい色に変わってゆく。この時期の篠窪が一年で一番賑わう。桜、菜の花、富士山。良くできました。という風景が作られている。観光客には良いだろうが、その場所は描く気にはならない。作られた感があまりにも、である。畑として菜種を作るのであれば、きちっとした栽培をするだろう。緑肥として作るならその作り方もある。花が咲きさえすればいいという畑はどこかだらしないものだ。そういう畑は絵に描こうとは思わない。この違いを描いている。里地里山を描くという事は、その背景にある東洋3000年の循環する暮らしを描いている。永続する暮らしの風景である。ゆったりと続く時間を描いている。庭にあるような桜が、人工的に里山に植えられたのでは風景の邪魔になるばかりである。風景を作るという事は極めて難しい。美しい日本の農村風景とは、永続性のある農業がおこなわれている景色のことだ。桜を植えれば、良くなるとばかりは言えないのだ。吉野の桜の魅力はさすが江戸時代美意識の高さである。
中判全紙横型 この絵には少し期待をしている。
真剣に作られている畑は美しい。暮らしが作り出した里山は美しい。篠窪に行ってめったに富士山を描くことはない。一枚だけあった描きかけの篠窪の富士山を、欲しいという人がいてびっくりした。確かに私の絵の中では人が部屋に飾ろうという絵は富士山となるのかもしれない。しかし、篠窪に行ってそういう絵を描こうとは思わない。向井順吉さんという藁ぶき農家を描く画家がいた。洋裁屋だった我が家で、向井順吉さんの奥さんの服を作らせてもらって、タンチ山にあった自宅に服を何度か届けた。色紙に描かれた絵もある。何となく親しい気持ちがあった。それでも、あの絵には里地里山の暮らしは感じない。都会に暮らす人が、思い描く田舎の景色である。消え去る藁ぶき家屋のミニアチュールに見える。そういう仕事なら写真の方が記録性が高い。私の描こうとしている里地里山は人間の暮らしが里山という空間に立ち現れ世界である。
中判全紙たて構図でも楽に描ける。中央のあたりの神秘を見つめている。
果たして私には見える、人間の行為の集積である里山が、そのように、つまり人間の手入れが描けるかである。これがなかなかできないで困っている。見えていると思っているのは、思い入れであり、幻想のようなものであり、そんなものはないと思う日もままある。それでも、見える時もある。今もその空気を思い浮かべることができる。井伏鱒二さんの陸稲の種の文章のような世界だ。別段普通の暮らし。3000年も継続できる暮らしの世界観だ。この永続する暮らしの世界観が見えるのが里地里山の眺めである。これで大丈夫だよ。という世界観である。それが篠窪に行くと見える気がするのだ。そうそれが私の絵だと、写真が見せられればいいのだが、まだまだ10年はかかるだろう。しかし、去年よりはましだから、描ける日が来るかもしれない。
篠窪に絵を描きにゆくと言っても、車の中でほとんどの時間ゴロゴロしている。車は後ろの座席をとってしまった。下から寒さが来ないようにマットレスが敷き詰めてある。布団もある。運転席のシートをたたんで、その上に絵を置く。ほとんどそれを眺めている。それで急に描けるときが来ることがあるので、待っている。おとといは豪雨の中、一日霞んだ景色を見ながら、ゴロゴロして待っていた。全く怠惰な感じだ。だから畑の人や、ハイキングの人に見られたら、申し訳が立たない。しかし、これしか方法がない。魚釣りのようなものだ。こちらができるのは仕掛けだ。あとは待つばかり。魚釣りが道具に凝るように、準備の方は万端で、後はゴロゴロ呼ばれるのを待つ。