自給の料理

   

朝は4時に起きる。年齢とともに早くなり、3時ごろに目が覚めることが多くなった。夜は8時に寝てしまうから、それ以上寝ていられないのは当然かもしれない。起きてブログを書いているのだが、実はその間やっているのが料理である。おとといは丸ごとロールキャベツ。今はぶり大根を煮ている。作ったものを朝と昼に食べる。家にいる日は大抵は同じものを食べている。飽きるという事もないし、外食よりおいしいので家で食べたいと思っている。朝作るのは煮込み料理である。スペアリブの煮込み。おでん。カレー。丸ごとロールキャベツ。ポトフ。牛筋煮込み。白菜と鶏の水炊き。重ね煮。まだまだ煮込みのレパートリーはある。要するに長時間煮込んで作る料理なら何でも挑戦する。何かレシピを見て作るのではなく、思いついたように自分流でやってみる料理だから、同じものが2度作れない。料理は工夫が面白い。美味しければ気分がいい。まずくてもそれはそれで納得して食べきる。

何故、ブログを書きながら料理ができるかである。ご飯は前夜の夜電気釜に仕込んである。朝6時10分に炊けることになっている。だいたいは毎日だが、ごはんが余っていれば、そのまま2日目のご飯を食べる。蒸気で温める電気釜の機能の為か、充分においしく食べることができる。朝起きるとパソコンを立ち上げ、まず、お湯を沸かす。コーヒーを入れるのだ。コーヒーを飲まないと頭が立ち上がらない。コーヒーを入れるお湯を沸かしている間に、何かをやりたくなる。ヨーグルトがなければ、ヨーグルトを仕込む。お湯が沸く時間内に終わっている。おでんを作ろうと思えば、コーヒーにお湯を注ぎながら作る。何でも平行に進める。時間がもったいないので、コーヒー、ヨーグルト、ブログ、おでんが同時並行に、今もブログを書きながら、ぶり大根をかき回しに行ってきた。このぶり大根は我が家の硬い2年大根を食べてみたくなって作っている。

コーヒー豆をミルで引く。この作業はお湯が沸くと同時でなければ嫌だ。引き立ての豆を沸かしたてのお湯で入れたい。水は今汲んできた湧水であれば直よい。それでいてコーヒーの味がよく分からないのだから、そういう儀式のようなものだ。その間におでんのお湯を沸かしている。おでんには昆布と煮干し出だしをとる。お湯を沸かし始めたらすぐ入れて、出来上がるまで取り出すことはない。当たり前だが全て食べてしまう。だしは取らないと自慢げにの賜った料理人がいたが、私の場合はだしのでる材料を煮込み料理の具材にするという感じだろう。そして野菜の皮をむいたり、刻んだりしながら、コーヒーを微妙に入れる。お湯をタラタラじょうろのように入れないと気が済まない。だから美味しくなる経験したことはないのだが、そうしないと気が済まない。おでん鍋のお湯が沸き始めるころには野菜やゆで卵など準備が終わる。コーヒーも終わっている。そこで、お湯で温めて置いた備前焼の玄明のカップにコーヒーを注ぐ。ここで、大根を見に行ってきたが、まだ堅い。大根は1時間以上煮ないと。

煮込むべきおでんの材料を入れ終わったら、電気コンロを弱にして、1時間のタイマーを入れる。途中で攪拌に行き、再度時間を調整する。そのまま冷ます。伊藤シェフによると、冷ます間に味がしみこむそうだからだ。後は良いタイミングで、煮込まない材料を入れて、10分程度のタイマーをかけておく。ご飯の炊きあがりに合わせて、だいたい6時30分には食べ始める。このおでんを、昼は煮込みうどんにするとか、変容させながら食べきる。それはどの料理も同じで、豚の煮込みがカレーに進化する。カレーから始まり、カレーうどんになることもある。いずれ、料理は鍋一杯に作り食べきるまで変容させて食べる。味噌醤油をうまく使い分けながら、味を変える。年齢を考えガスコンロは止めて、電気の調理器に変えてた。安心して煮込み料理ができる。焦がすという事が無くなった。一度だけ猫が踏んで着火させたことがあったので、消す時は必ず、元から消している。今見に行ったら、ぶり大根はあと16分で出来上がりであった。小田原港がブリで盛り上がった時代を想像して食べることにする。

 

 

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