稀勢の里の優勝
大阪場所は新横綱稀勢の里の優勝。無敵の横綱白鵬が限界。先場所の千秋楽の稀勢の里との対戦は、白鵬は正面からの真っ向勝負で稀勢の里を押し込んだ。今まで見たこともないほどの必死の寄りを見せた。しかし、稀勢の里は土俵際まで押し込まれながらも、見事に投げ飛ばした。限界までやって敗れた白鵬は素晴らしかった。負けて白鵬の横綱の姿を現した。負け相撲に本当の相撲取りの姿が出る。全力の負けは見事だ。新しい力に対して、歴史に残る大横綱が悪びれることなく、血相を変えて勝負をした。これこそ大相撲の見事さである。相撲はある瞬間、人間の素晴らしい姿を表現する。しかし、身体の限界が来てしまった白鵬は次々に故障を起こしている。どれほの大横綱であっても、身体には限界がある。相撲取りの身体づくりは、人間の限界に挑んでいるようなものだ。どんな人間にも耐えきれる時間がある。長い期間戦い続けることは出来ない。大相撲は稀勢の里時代を迎える気配にあった。
そして大阪場所、稀勢の里の横綱相撲が続く中、白鵬は身体を整えて稀勢の里の前に立ちはだかるつもりではあった。やはり、足の裏を割くという怪我をしてしまう。白鵬の気持ちは、稀勢の里来るなら来い、自分の万全の力を見せつけてやる。という気持ちではあっただろう。しかし、その必死さがゆえに怪我もしたのかもしれない。時代の主役の入れ替わりが明確になった。その後も稀勢の里は快進撃を続け、ついに13日目の横綱日馬富士戦まで連勝で進む。この日までの相撲は大関時代の稀勢の里の不思議な弱さが消えていた。横綱になったという事で、心の安定度が増した。もともと身体と技は強かった力士であったが、横綱になり、心が備わった。盤石と思われたが、日馬富士の速攻相撲に一気に土俵際まで押し込まれた。先場所の白鵬戦を思い起こす。あの時は体を反らずに、白鳳を投げることができた。ところが、日馬富士の速さに思わず身体をそらせながら逆に投げた。横綱だから負けてはならないがこんな形になる。
横綱は負けないという思いが、無理な体勢の投げになったのだろう。あの大きな身体が左肩から土俵下へ転落した。救急車で病院に行くほどの重症である。当然、残り2番は取れない状態。しかし、けがを押して出場する。貴乃花を思い出した。怪我をしながら強行出場をして優勝をした。あの小泉首相が表彰式で「感動した」と叫んだものだ。それが貴乃花最後の優勝となった。稀勢の里には出て欲しくなかったが、14日目横綱鶴竜戦出場。あっさりと寄り切られ、到底相撲の取れる状態でないように見えた。今思うとこの相撲は15日目への伏線であった。ここは負けてもけがを悪化させない道を選択していた。そして、千秋楽強さの戻った大関照ノ富士戦。照ノ富士は14日目大関復帰をかける琴奨菊戦に変化して勝利し、顰蹙を買う。これも神様は見逃さない。千秋楽変わる訳にはゆかなくなった。稀勢の里は2連勝しなければ優勝はない。
ここで稀勢の里は力を爆発させる。本割、決定戦と勝ってしまう。人間が本気になるという姿を、見事に見せてくれた。これが大相撲の醍醐味である。稀勢の里は痛みを超えていた。その姿には学ばなければならない人間の姿があった。前日変わり身で勝った照ノ富士が敗れ、大けがの稀勢の里が勝つ。このあと肩が回復しないかもしれない。横綱という存在がどういうものであるかを示していた。その瞬間こそ、一期一会である。その時に全力を出さないものが、いつか出せることはない。後先を考えない見事さ。先場所の千秋楽の白鵬の、負けてなお見事であったこと。そして今場所、千秋楽の稀勢の里の優勝の見事さ。稀勢の里は強いのに肝心なところで、あっさりと負ける大関であった。横綱になり勝負強い姿に様変わりする。こうして人間というものの限界を超えたような力が、立現れるところが大相撲だ。これが芸能であり、神事である大相撲の姿ではないだろうか。