40人学級と35人学級
箱根芦ノ湖 中盤全紙 やはり同じゴルフ場に上ってゆく所から描いている。この複雑な地形の組み合わせに惹かれるのだろうか。活火山としての駒ケ岳は生きているような山だ。
財務省が40人学級に戻したらどうかと、打診を始めた。この子供が減少している時代に理由が分らない。40人にすると予算が節約できると考えているとしたら、大間違いだ。「40人に戻すと、必要な教職員数が約4千人減り、人件費の国負担分を年間約86億円削減できる」との試算を提示している。現在小学校教育は危機的な状況にあると考えた方がいい。現在小学校の乱れは、年々深刻化してきている。中学校で起きていた様々な問題が、小学校にまで及んできている。昨年度のいじめはさらに深刻化した。まず、4千人の人件費が削減できるという試算が怪しい。すでに40人学級どころでなく生徒の減少が起きている地域が全国に広がっている。こうした地域には何の関係もない話なのだ。過疎地域の教育の存続をどう考えて行けばいいのかという、もっと深刻な状況なのだ。いかに閉校をせず過疎地域の教育の存続するというのが、緊急対策だろう。
40人でも30人でも教育効果等さして変わらないと考える。問題は直接子供の教育に当たる、教師に直接の教育以外の負担を減らすことが必要である。父母対応。こういう問題に巻き込まれると、担任の負担は一気に増えてしまう。モンスターペアレントはいつどこに出現するか分らない。渉外処理専門の人間が、学校には必要である。また、経理専門職員も必要。学級担任が、お金の集金を負担するようなシステムでは効率が悪すぎる。また、生徒の心身の健康問題へのアプローチも医療専門職員が必要であろう。不適合児童を専門に扱うカウンセラー職員も必要と成る。さらに教員のIT能力の向上のための、指導員を学校に配置する必要もある。農作業などの作務教育の職員の導入。さらに言えば、学校を多様化して、生徒の学校選択の余地を作る必要がある。公教育は全面見直しが必要な状況である。その上であるなら、45人に戻そうという考えもあり得る。
教育は10人なら10人の為の方法があるし、100人なら100人の方法がある。どちらが有効とかではなく、教育の内容による。学校と言う場は、社会の矛盾が集まってくる場に成る。家庭内暴力が頻発している。家庭崩壊も珍しいことでもなくなっている。そうした格差社会の矛盾が集中してくる場所が学校現場だ。そうした社会矛盾を教育という枠で、向かい合わざる得ない場所が学校である。40人だとか、35人だとか、そんな末梢的な問題ではない。学力の低下と言うことが言われるが、その学力の目指す所が、道徳教育の強化であったり、英語教育の導入である。倫理を国が強制してもどうにもならない現状である。導入すべき教科は、作業教育である。瑞穂の国の伝統農業を教科に入れるべきだ。実務作業経験こそ学ぶものがあるはずである。英語教育などやりたい児童が、塾にでも行けばいいことである。
公教育の目指す所は、国の目指す所を反映する。日本が瑞穂の国、美しい国づくりを目指すと言うなら、どんな教育が必要なのかを考えればいい。軍国主義国家に成るなら、国民学校だろう。国際競争力の能力主義なら、韓国の様な教育と言うことに成る。方角が分らず、ただ競争力を高めたいということでは、学校の負担が増加するばかりである。美しい国の意味する所は、美しい人間が、美しく暮らしている国と言うことだろう。美しい暮らしとは、競争に追われた暮らしではないことはわかる。一人ひとりが自分の生きる目的に向かって、充実した日々を送ることだろう。人を踏みにじるような競争社会に暮らし、学校は能力主義の養成所に成る。そのストレスをカジノで発散するような国がまともな訳が無い。67億円を惜しんで理由なく、40人学級を主張する政府の目指す所は、ずいぶんいやな世界と思うのだが。