2014年の稲作が終わった。
妙高山 中盤全紙
今年の稲作も終わった。祭りの後感がある。後何回稲作はできるだろうか。5回はできる気がする。10回は何とかやりたいものだ。15回やれれば、40回と成り80歳だからほぼ限界だろう。私の自給の為の稲作も、25回目を終わりだんだん、完成形に近づいている気がする。これはやってきた様々なこと中では、珍しく完成形に成りかかってきていることが、不思議な気はする。これはたぶん稲作の実業的な部分である。もちろん稲作も人間性とのかかわりと成ると奥は深い。深いものであるが、稲作はお米がとれるという一つの結論がある。しかも良いお米が沢山とれることが良いことと成っている。その点絵を描くことや、日本の平和への方向性とか、自然エネルギーへの転換、さらに文明の方向など、大抵の問題には結論はないような気がする。ないと言ってしまってはいけないとは思いながら、やはり結論などないものもあるのだろう。土と水と稲作の循環する関係を壊さないで、むしろ良い循環にしながら、お米という、結果をどのように戴くのかということなのだろう。収奪的でない、里山稲作の在り方である。
今年も収量はほぼ畝どりであった。1609,3キロであった。面積は27、2アールである。正確には1反591、67キロである。昨年もほぼ畝どりではあったのだが、昨年は稲が倒れた。今年はほとんど倒れないまま、収穫が出来た。この工夫は生きたと思う。お米はなかなか良い出来の様だ。後20キロは残念な所だが、これは、イノシシのせいにして置こう。まずますひどくなる獣害対策は、里山の深刻な課題である。これこそ来年の課題だ。実はもち米は、昨年、77,1キロ取れたのだが、今年は65キロしか取れなかった。理由は田んぼが出来ていない。水の状態が悪い。稲の生育が初期から悪く、勢いが無かった。しかし、昨年の倒伏と病気が怖くて、思い切った対策がとれなかった。種籾を変えたことも良くなかった。根本原因は覆田2年目で、長年の地力が失われたということがある。これが予想以上の衰退につながった。昨年倒伏がひどかったので、怖くて今年は堆肥も入れられなかった。ソバカスもほとんど入れなかった。いずれ土の状態が悪い。病気は出なかった点では昨年より改善されたのだが、その分土壌の力が失われた感じだ。冬に堆肥を多めに入れたい。
管理で良かったのは、中干しや土用干しはほとんど入れないで、後半の間断灌水にかけたことだ。このタイミングはとても難しいものだと思った。稲の授粉期以降どんなタイミングで、間断灌水にはいることにするかである。土の状態で土を固めながら、水加減をする。ある程度はつかめてきたのだが、稲の葉色が一度落ちて、再度、上げて行くほうこうなのだと思う。ここでは色を上げて行く為には、土の状態が良くなければならない。初期にトロトロ層が厚く出るような状態。土が良ければ、水を引きながら、根を深くもぐりこませてゆくという感じが出てくる。深い所で根が活性化して、葉色が上がり始めるのではないかとイメージしている。葉色が上がり、後半までは色の黄ばみが遅れるようであれば、粒張りが良くなってくる。だから、刈り取り時期は穂の軸の緑色が付け根のあたりだけに残っている状態まで我慢する。ここまで倒伏せず保つことが出来ればしめたものだ。
冬の間に稲束は十分に堆肥化する。藁を田んぼ全体に敷き詰めて、そこにソバカスをかけてやる。状態によっては2度行えれば、最善である。今年収量が減った、2番、3番、5番、6番、11番には、少し多めに播くことにする。冬の間に播くソバカスなり、鶏糞堆肥は少々多くても問題が起きにくい。来年は、3番を苗床にしようと思っている。4番で続けてきたために4番が少し問題が出てきている。倒伏のこともあるが、土壌が柔らかくなりすぎている。3番は入水口のたんぼなので、水温の問題はある。水廻しを長くして温めて入れるようにしたい。ソバカスも早めに多く入れたい。11番はまず土木工事である。畦の関係をきちっとしないと、良い田んぼにはならないだろう。10番から入れる水が、どの程度田んぼのプラスに成るか。冬の間の作業に成る。冬の間にはもう少しハザ掛け棹を準備しなければならない。12家族の参加で、3反弱の田んぼを耕作した。1家族120キロの分配で、1万円くらいの経費である。経費はまだ計算はしていないが、例年のその位で収まるようにしている。